コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

和田垣謙三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和田垣 謙三
人物情報
別名 吐雲(
生誕 (1860-08-30) 1860年8月30日万延元年7月14日
但馬国城崎郡豊岡町(現・兵庫県豊岡市
死没 (1919-07-18) 1919年7月18日(58歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学文学部
学問
研究分野 経済学農業経済学
研究機関 帝国大学法科大学東京帝国大学法科大学
東京帝国大学農科大学→東京帝国大学農学部
学位 法学博士(日本・1891年)
主要な作品 『経済教科書』(1901年)、『世界商業史要』(1909年)
学会 国家学会
経済学攻究会
日本経済会
テンプレートを表示
和田垣謙三

和田垣 謙三(わだがき けんぞう、1860年8月30日万延元年7月14日〉 - 1919年大正8年〉7月18日)は明治時代から大正時代にかけての日本経済学者法学博士吐雲

経歴

[編集]

但馬国(現兵庫県)出身。豊岡藩士・和田垣譲の次男。1881年東京帝国大学卒業後、ヨーロッパに留学し、ケンブリッジ大学ベルリン大学で学び、1883年に帰国。文部省御用掛を経て、1886年帝国大学法科大学教授となり、金井延とともに学部を主導、シュタインワグナーの社会政策学派財政学を導入、自由主義経済学からの転換を促した。1891年法学博士。1898年の農科大学教授に転じる。また日本女子商業学校校長、東京商業学校校長として民間実業教育に尽力。

1919年、腎臓炎のため死去[1]。墓所は雑司ヶ谷霊園

栄典

[編集]
位階
勲章等

著作

[編集]

単著

[編集]

英訳

[編集]

共著

[編集]

共編

[編集]

共訳

[編集]

校訂

[編集]

監輯

[編集]

洋書

[編集]

記念論文集

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)344頁
  2. ^ 『官報』第6101号「叙任及辞令」1903年10月31日。
  3. ^ 『官報』第7640号「叙任及辞令」1908年12月12日。
  4. ^ a b 『官報』第2088号「叙任及辞令」1919年7月21日。
  5. ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
  6. ^ 『官報』第6450号「叙任及辞令」1904年12月28日。
  7. ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。
  8. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。

参考文献

[編集]

関連文献

[編集]

外部リンク

[編集]
その他の役職
先代
高橋健三
東京商業学校長
1897年 - 1919年
次代
内田嘉吉
先代
(新設)
私立日本女子商業学校
1907年 - 1919年
私立女子商業学校長
1903年 - 1907年
次代
日本女子商業学校長
嘉悦孝