蜂の噴水
蜂の噴水(イタリア語: Fontana delle Api)はイタリア ローマのバルベリーニ広場にある噴水[1]。フェリーチェ水道の水を使っている[1][2]。立ち上がった二枚貝に3匹の蜂がとまっており、それらの下から水が供給されているというデザイン。3匹の蜂は発注者たるウルバヌス8世の生家バルベリーニ家の紋章に由来する[3]。
1644年、ウルバヌス8世の命によりベルニーニの手で制作された[4]。完成日は4月6日[2]。同じくバルベリーニ広場にあるトリトーネの噴水(1643) に続けて完成したもので、トリトーネの噴水で一回噴出された水を地下で再利用してこちらに出力し、馬など家畜用の水場とされていたという[4][2]。碑文に2つの用途が記載されており、装飾用と利便性のためと説明されているが、このうち装飾部分はトリトーネの噴水のことで、利便性は蜂の噴水のことをさすと解釈されている[5][6]。蜂は当時はルーニ(現マッサの辺り)産の大理石製であり、噴水の設置場所も広場からシスティーナ街(当時はフェリーチェ街[7])へ出るあたりの角に設置されていた[5]。チェーザレ・ドノーフリオ『ローマの水道と噴水』(1977) によれば1865年ごろに何らかの理由でいったん撤去されローマ市の倉庫送りとなり、1915年末に現在の位置(ヴィットーリオ・ヴェーネト街への角)に再設置されたという[8]。現在の石灰華製の噴水は当時の修復の結果であり、全体的に原型はほとんど残っていない[9]。2017年にも清掃・修復工事が行われ、すくなくとも3匹の蜂のうち、中央の一体がオリジナルというレポートが『地球の歩き方』から出ている[3]。
『即興詩人』(アンデルセン)の冒頭、以下のような箇所がある。
ヰア、フエリチエの角なる家の見えぬこそ恨なれ。わがいふ家の石垣よりのぞきたる三條の樋の口は水を吐きて石盤に入らしむ。 — 『即興詩人』(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)、青空文庫(森鷗外訳) https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/4376_19283.html
「三條の樋の口」から水がでて「石盤」に注ぐ。これこそ蜂の噴水のことを指している。しかし原書が1835年刊であり、上述のようにそれ以後に「ヰア、フエリチエ(フェリーチェ街)」の辺りから位置がかわってしまっているのである。[1]
碑文のかつてあった誤り
[編集]碑文にはラテン語で、「偉大なウルバヌス8世は、(中略。噴水などを)作られた。これは1644年の彼の21回目の在位のことである。」といった趣旨のことが書かれている[3]。太字部分について、完成当時ベルニーニは「22回目」と刻んでいたが、実際のところウルバヌス8世は22回目(在位22年)の目前、8日前に死去してしまった[3]。「21回目」に修正したのはウルバヌス8世の甥、フランチェスコ枢機卿であった[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c 河島英昭『ローマ散策』 新赤版 698、岩波書店〈岩波新書〉、2000年、131-145頁 。
- ^ a b c “Piazza Barberini”. Roma Segreta. 2019年5月1日閲覧。
- ^ a b c d e 阿部美寿穂 (2017年6月22日). “ベルニーニの"蜂の噴水"の修復が終わりました!”. 地球の歩き方ホームページ. 地球の歩き方メディアパートナーズ. 2019年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月1日閲覧。
- ^ a b 河島 2000, pp. 137–138。
- ^ a b Rosamie Moore. “Piazza Barberini”. Rome Art Lover. BAROQUE ROME IN THE ETCHINGS OF GIUSEPPE VASI. 2019年5月1日閲覧。
- ^ “ad publicum Urbis ornatum”部分が市内の装飾という用途をさし、“singulorum utilitati”部分は市民の利益という意味(Rosamie Moore)。
- ^ サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂にあるオベリスクからトリニタ・ディ・モンティ教会のオベリスクまでの街路を、都市計画を行ったシクストゥス5世の教皇就任前の名前よりフェリーチェ街とした。現在のデプレーティス街、クアットロ・フォンターネ街、システィーナ街である (河島 2000, pp. 135–136)。
- ^ 河島 2000, p. 139。
- ^ 河島 2000, pp. 138–139。
座標: 北緯41度54分15.5秒 東経12度29分19.4秒 / 北緯41.904306度 東経12.488722度