裏松友光
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裏松 友光(うらまつ ともみつ、1885年(明治18年)11月7日[1] - 1949年(昭和24年)11月24日[1][2])は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
[編集]陸軍将校、子爵・裏松良光の二男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1915年(大正4年)10月30日、子爵を襲爵した[3][4][注釈 1]。
1911年(明治44年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2][3]。その後、内閣調査局参与、商工省参与、土木会議議員、大蔵省委員、大東亜省委員、南方開発金庫監事、南鮮合同電気監査役、朝鮮電力監査役などを務めた[2][3]。
1924年(大正13年)9月27日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]、研究会に所属して活動し[2]、1946年(昭和21年)3月26日まで四期在任した[2][7]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、260頁では10月3日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 裏松良光 |
子爵 裏松家第2代 1915年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |