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西大條胖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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西大條 胖
生誕 1893年9月12日
日本の旗 日本 宮城県
死没 (1958-04-22) 1958年4月22日(64歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1915年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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西大條 胖(西大条 胖、にしおおえだ ゆたか、1893年明治26年)9月12日 - 1958年昭和33年)4月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将功三級[2]

経歴・人物

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宮城県出身[1][2]1915年(大正4年)陸軍士官学校第27期卒業[1][2]1923年(大正12年)陸軍大学校第35期卒業[1][2]

1935年(昭和10年)12月に陸軍省整備局整備課高級課員に任官[2]

支那事変が勃発すると、 1938年(昭和13年)3月に陸軍歩兵大佐歩兵第40連隊長(第2軍第10師団、第8旅団)として出動し、徐州作戦武漢作戦などに参戦[1][2]。翌年の1939年(昭和14年)3月に近衛師団参謀長、1941年(昭和16年)5月に商工省物資調整官を経て、同年8月に陸軍少将に進級した[1][2]

その後、同年12月に阿爾山駐屯隊長(関東軍第2方面軍)となり大東亜戦争に出征し、アルシャンに駐屯した[1][2]

ついで1942年(昭和17年)10月に第25軍参謀長に転じ、翌年の1943年(昭和18年)4月に第25軍軍政監を兼職し、スマトラの安定に尽力[1][2]

さらに1944年(昭和19年)10月14日に南方軍総参謀副長兼軍政総監部総務部長を経て、同月26日に陸軍中将に進級した[1][2]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[3]

栄典

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外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』548頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』374頁。
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。
  4. ^ 『官報』第4632号 付録「辞令二」1942年6月20日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。