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西宮カントリー倶楽部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西宮カントリー倶楽部
Nishinomiya Country Club
西宮カントリー倶楽部
西宮カントリー倶楽部の空中写真。
2009年4月19日撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 地図
所在地 日本の旗 日本
兵庫県西宮市仁川町六丁目19番7号
座標: 北緯34度47分1.82秒 東経135度19分18.21秒 / 北緯34.7838389度 東経135.3217250度 / 34.7838389; 135.3217250
概要
開業 1955年昭和30年)11月27日
運営 メンバーシップコース
設計 井上 誠一
運営者 一般社団法人 西宮カントリー倶楽部
コース

OUT IN
HOLE PAR YARD HOLE PAR YARD
1 5 474 1 5 474
2 4 368 2 3 202
3 3 176 3 4 341
4 4 296 4 4 397
5 4 394 5 4 349
6 4 438 6 3 162
7 5 586 7 4 454
8 3 188 8 4 369
9 4 434 9 5 602
36 3354 36 3350

その他
公式サイト 西宮カントリー倶楽部
テンプレートを表示

西宮カントリー倶楽部(にしのみやカントリーくらぶ)は、兵庫県西宮市仁川町にあるゴルフ場である。

概要

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西宮市甲山の麓は、1952年昭和27年)頃から、警察予備隊(現・自衛隊)の演習場にしばしば使用されていたが、恒久的に演習場として使用するという動きが出始めた[1]西宮市長辰馬夘一郎は、そこにはゴルフ場の企画があると反対し、観光文化都市構想の一環として「甲山ゴルフクラブ」の建設を立案した[1]。そして、1954年(昭和29年)11月30日、「社団法人西宮カントリー倶楽部」建設の認可を取得した[1]

西宮は、1945年(昭和20年)8月5日の大空襲で市内の大半が焼失したため、西宮カントリー倶楽部の建設は辰馬市長の政治目標のひとつだった[1]。辰馬市長は、陣頭指揮で会員の勧誘にも動いた[1]阪急電鉄株式会社の和田薫(後・初代理事長)の協力を得て法人会員130社39名を集めることができた[1]

ゴルフ場建設用地は、甲山の麓だが急傾斜地が多く、仁川渓谷と自動車道が用地内を通るため面積が少なく、また、土質が花崗岩地帯であるなど難点が多いことが分かった[1]。コース設計を依頼した井上誠一は半ば呆然としたが、その半面スケール感はとも角、利用価値のあるコースと交通上の利点を高く評価した[1]

1954年(昭和29年)10月13日、コース造成工事の起工式が行われ、1955年(昭和30年)11月27日、9ホールのコースが完成し、仮開場された[1]1956年(昭和31年)4月15日、9ホールが増設され、18ホール規模のコースが本開場された[1]

所在地

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〒662-0811 兵庫県西宮市仁川町六丁目19番7号

コース情報

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  • 開場日 - 195511月27日
  • 設計者 - 井上 誠一
  • 面積 - 890,000m2(約26.9万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,704ヤード、コースレート73.6
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 2グリーン、ベント、コウライ
  • 練習場 - 19打席250ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[2]

クラブ情報

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ギャラリー

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交通アクセス

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鉄道

道路

エピソード

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  • 1955年昭和30年)11月27日、9ホールが完成し、仮開場した、西宮市長辰馬夘一郎は始球式を行ったが、甲山大師に祈ってドライバーを振った。市長はこれまでゴルフボールを触ったことがなかった[4]
  • 1994年平成6年)1月から6月まで、コースを全面クローズ、開場50周年事業イベントのワングリーン化改造を終えた。改造設計は大橋一元が行った[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和29年、西宮市長・辰馬卯一郎が復興の一環としてゴルフ場建設を立案」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月11日閲覧
  2. ^ a b 「西宮カントリー倶楽部」、ゴルフホットライン、2021年3月1日閲覧
  3. ^ a b 「西宮カントリー倶楽部」、交通案内、2021年3月11日閲覧
  4. ^ a b 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和29年、西宮市長・辰馬卯一郎が復興の一環としてゴルフ場建設を立案」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月11日閲覧

関連文献

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  • 『週刊ダイヤモンド』、 「日本のゴルフ場 西宮カントリー倶楽部」、法林一磨・伊藤昭二、東京 ダイヤモンド社、1971年3月6日、2021年3月11日閲覧
  • 『月刊ゴルフマネジメント』、「ゴルフ倶楽部を考える(169回)西宮カントリー倶楽部の創設」、著者井上勝純、東京 一季出版、2000年5月、2021年3月11日閲覧
  • 『月刊ゴルフマネジメント』、「ゴルフ倶楽部を考える(第170回)日本のゴルフコース90年の歴史を探る「西宮カントリー倶楽部の発展」」、井上勝純、東京 一季出版、2000年6月、2021年3月11日閲覧
  • 『社団法人西宮カントリー倶楽部五十年史50年史』、編纂委員会編、西宮 西宮カントリー倶楽部、2006年1月、2021年3月11日閲覧
  • 『ゴルフ場ガイド 西版』、2006-2007、「くまもと阿蘇カントリークラブ」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2021年3月11日閲覧
  • 『全国ゴルフ・コース案内 関西篇』、「西宮カントリー倶楽部」、水谷準著、東京 ベースボール・マガジン社、1963年、2021年3月11日閲覧
  • 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「昭和29年、西宮市長・辰馬卯一郎が復興の一環としてゴルフ場建設を立案」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月11日閲覧

関連項目

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外部リンク

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