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西山秀二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西山 秀二
(2022年11月6日、Agreスタジアム北谷にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府八尾市
生年月日 (1967-07-07) 1967年7月7日(57歳)
身長
体重
174 cm
94 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1985年 ドラフト4位
初出場 1989年8月26日
最終出場 2005年10月5日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

西山 秀二(にしやま しゅうじ、1967年7月7日[1] - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手捕手)、コーチ野球解説者野球評論家

経歴

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プロ入り前

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八尾市立大正中学校時代は桑田真澄とバッテリーを組む(桑田とは幼稚園以来の仲。後年、西山は桑田のことを「今まで見てきた中で最高のピッチャー」と評している。)[2]上宮高に進学し捕手として2年時は江本晃一とバッテリーを組み、1番打者で活躍。その後は4番を打ち、1984年秋季近畿大会府予選準決勝では桑田を擁するPL学園高と対戦、本塁打を放つが5-11で敗れる。翌1985年夏の府大会は5回戦で敗退し、甲子園には届かなかった。高校同期に二塁手小森哲也、1年上に江本や笘篠賢治、2年上に光山英和がいる。

1985年のプロ野球ドラフト会議近鉄バファローズ南海ホークスから4位指名を受け、抽選の結果南海ホークスへ入団した[1][3](尚、仮にドラフト指名が無かったとしても、当時阪神コーチに高校のOBである一枝修平がおり、ドラフト外での獲得の内定も貰っていたと後に本人が語ってる[4])。

南海ホークス時代

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1年目(1986年)のキャンプでは捕手でありながらブルペンで球を受けさせてもらえず、フリー打撃でも打球が飛ばないなど自信を失いかけ、1年目の一軍出場機会はゼロに終わった。同年のシーズンオフには畠山準が運転する車に乗っていた際に交通事故に遭い、1か月の謹慎処分を受けた[5]

2年目の1987年は肘痛を抱えて捕手としてのスローイングに支障をきたしていたことから二軍で遊撃手としてプレーしていたが[4]、シーズン途中に森脇浩司永田利則との2対1(西山プラス金銭)のトレードで広島東洋カープへ移籍。4位指名とはいえ、高卒ドラフト入団で僅か1年5か月でのトレード移籍は例がなく[6]、前代未聞であった。球団は西山の実家に訪れ、『チームが久々のAクラスキープしていたが一軍内野手が軒並み故障離脱、また球団の経営難で資金がどうしても欲しかった』等を素直に西山本人及び両親に述べ謝罪したが、一方で西山とその両親は「人気のセ・リーグに行ける」と実は喜んだと、後に語っている[7][8]

広島東洋カープ時代

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広島に移籍した当時は達川光男の後釜候補の1人でしかなく、1991年にはドラフトで「大学ナンバーワン捕手」の瀬戸輝信が入団したことでチャンスが潰えたかに思われたが、同年に打撃で一定の結果を残したほか、外野手三塁手・代走要員と様々な役割をこなして一軍に定着。

1993年からは達川の後を受けて正捕手の座を掴む。

1994年には初の規定打席(15位、打率.284)に到達、ベストナインに選出され、ゴールデングラブ賞を受賞した。

1996年には打率.314(ランキング8位)の好成績を記録し、球団捕手史上初の「規定打席に到達して打率3割」を達成した。2023年時点においても球団捕手では唯一の記録である[9]。同年は2度目のベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝く(いずれも1990年代のセ・リーグ捕手としては、古田敦也以外で唯一の複数回受賞)。しかし攻撃的な攻守ゆえに怪我をしやすく、1994年・1996年以外は2番手捕手の瀬戸との併用が続き、1990年代後半からは打撃面でも怪我の影響で苦戦を強いられる。特に1998年は故障でほぼ1年を棒に振り、彼に代わって瀬戸が正捕手を務めた。

1999年4月14日の対巨人戦では、延長戦に入り内野手を使い果たしたため、自身初めて二塁手の守備についた。無難にセカンドゴロを一つ捌いてチームは勝利している。

2004年シーズン終了後にはフロントからコーチ就任の打診を受けたが、本人が現役続行を希望したため自由契約となり、読売ジャイアンツ(巨人)に移籍。

読売ジャイアンツ時代

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巨人では広島時代からの親友で不振が続いていた江藤智の良き相談相手となった。

2005年4月17日の対ヤクルト戦で桑田と23年ぶりにバッテリーを組んだが、同年限りで現役を引退。他球団からの移籍後巨人在籍は1年であったが、球団側の計らいで引退試合と引退セレモニーが行われた[10]。対戦相手が古巣の広島であり、広島ファンへの挨拶も兼ねたためといわれている。巨人移籍後の初出場試合も広島戦であり、レフトスタンドの広島ファンから温かい拍手が送られている。

現役引退後

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2006年からは巨人の二軍バッテリーコーチに就任し、加藤健などを育てた。

2008年からは一軍バッテリーコーチを務めていたが、2010年10月24日に翌年の契約を更新しないことが発表された[11]

2011年からはラジオ日本ジャイアンツナイターGAORAプロ野球中継解説者デイリースポーツ東京本社評論家を務めている。

2016年学生野球資格回復研修を受講した。2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となる[12]

2018年途中から中国放送(RCCラジオ)のゲスト解説者を務める。2022年からは、中日ドラゴンズで一軍バッテリーコーチを務める[13]。また、攻撃時のベンチからのサインを三塁ベースコーチに送る役割も担っている。2023年限りで退団[14]2024年からサンテレビゲストとラジオ日本の野球解説者とデイリースポーツの野球評論家に復帰する[15]

選手としての特徴・人物

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捕球・送球の正確さとクレバーなリードが武器であり、長きにわたって広島の正捕手を務めた[16]。守備では捕手以外も外野や三塁などを務めるなどの器用さも兼ね備えていた[16]。また、打撃では独特な一本足打法でタイミングを取るしぶとい打撃で、1996年にはリーグ8位の打率.314を記録するなど優れていた[16]

愛称は「ニシ[16]

乱闘騒ぎ

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  • 1993年6月6日の対ヤクルト(広島市民球場)の7回表、一死三塁の場面で、ヤクルトの打者レックス・ハドラーが放った三ゴロの間に走者の池山隆寛が本塁突入の際、余裕でアウトのタイミングだったにもかかわらず、西山にタックルしたことから西山が激怒し、池山を殴ったことから両軍総出の大乱闘に発展した。西山は暴力退場処分を受けた。5月20日にも池山にタックルを食らっていたため、それが伏線となっていた。また乱闘の際にジャック・ハウエルに捕まったシーンは珍プレー番組でも取り上げられた。後日、西山は池山に謝罪し、両者和解している[17][18]
  • 1999年4月、対巨人戦で上原浩治から執拗なまでの内角攻めをされた上、死球を受けた。怒った西山が捕手の杉山直樹の胸ぐらをつかみ乱闘寸前の騒ぎになる。この時、上原にマウンドから出るなと指示したのはその当時広島に在籍していた江藤智であった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1989 広島 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1990 25 22 21 4 6 2 0 0 8 2 0 0 1 0 0 0 0 4 0 .286 .286 .381 .667
1991 52 122 111 17 31 6 1 4 51 14 1 2 2 2 7 3 0 21 2 .279 .317 .459 .776
1992 79 192 170 18 38 5 0 4 55 20 2 1 4 2 16 6 0 33 4 .224 .287 .324 .611
1993 110 292 271 20 62 10 0 7 93 21 1 0 6 2 12 2 1 60 9 .229 .262 .343 .605
1994 126 438 387 44 110 10 6 3 141 32 9 1 13 3 35 9 0 73 10 .284 .341 .364 .706
1995 83 236 199 19 42 10 4 5 75 27 5 2 11 1 22 6 3 56 4 .211 .298 .377 .675
1996 124 476 411 45 129 18 2 3 160 41 4 2 12 2 44 14 7 48 9 .314 .388 .389 .777
1997 103 313 264 22 54 4 0 5 73 28 6 0 10 2 36 11 1 64 8 .205 .300 .277 .577
1998 13 44 37 3 7 2 0 2 15 7 0 0 4 0 3 1 0 3 1 .189 .250 .405 .655
1999 103 331 294 22 70 12 0 4 94 25 3 0 7 3 25 6 2 59 8 .238 .299 .320 .619
2000 94 284 253 25 56 6 0 6 80 33 3 2 7 2 22 1 0 70 2 .221 .282 .316 .598
2001 120 316 268 23 64 11 1 2 83 14 1 1 10 2 34 4 2 53 9 .239 .327 .310 .636
2002 87 188 169 12 33 4 0 4 49 11 1 1 3 0 15 2 1 34 5 .195 .265 .290 .555
2003 60 85 74 2 11 0 0 1 14 7 0 0 7 1 3 1 0 22 3 .149 .179 .189 .369
2004 22 9 9 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .111 .111 .111 .222
2005 巨人 13 19 18 2 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 6 1 .111 .158 .111 .269
通算:17年 1216 3369 2958 279 716 100 14 50 994 282 36 12 97 22 275 66 17 608 75 .242 .308 .336 .644
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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捕手 二塁 三塁 外野


























































1990 広島 21 51 8 0 1 1 1.000 7 3 4 .571 - - -
1991 20 71 6 0 0 0 1.000 3 1 2 .667 - 7 3 7 0 0 1.000 19 15 0 0 0 1.000
1992 76 367 31 1 5 5 .997 40 21 19 .475 - 1 0 0 0 0 .000 2 1 0 0 0 1.000
1993 108 543 55 5 14 5 .992 65 35 30 .462 - - -
1994 125 745 57 2 15 5 .998 68 42 26 .382 - - -
1995 82 421 35 2 6 2 .996 38 20 18 .474 - - -
1996 123 750 62 1 12 9 .991 69 41 28 .406 - - -
1997 98 515 60 2 11 3 .997 64 36 28 .438 - - -
1998 13 60 3 0 1 0 1.000 4 2 2 .500 - - -
1999 101 594 36 3 8 6 .995 50 40 10 .200 1 0 1 0 0 1.000 - -
2000 91 476 29 7 3 3 .986 54 42 12 .222 - - -
2001 119 595 46 3 11 5 .995 63 48 15 .238 - - -
2002 87 387 38 1 7 3 .998 41 23 18 .439 - - -
2003 56 186 14 0 3 2 1.000 24 15 9 .375 - - -
2004 21 35 2 0 2 0 1.000 7 5 2 .286 - - -
2005 巨人 4 17 1 2 0 0 .900 0 0 0 - - - -
通算 1145 5813 482 29 99 46 .995 597 374 223 .374 1 0 1 0 0 1.000 8 3 7 0 0 1.000 21 16 0 0 0 1.000

表彰

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記録

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初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:2001年8月19日、対読売ジャイアンツ22回戦(広島市民球場)、9回表に捕手として出場 ※史上373人目
その他の記録

背番号

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  • 51(1986年 - 1987年途中)
  • 32(1987年途中 - 2004年)
  • 31(2005年)
  • 74(2006年 - 2010年)
  • 72(2022年 - 2023年)

関連情報

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書籍

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  • 不惑 桑田・清原と戦った男たち』(矢崎良一著、ぴあ、不惑の年(40歳)を迎えたKKコンビと同学年の9人(内プロ経験者8人)にKKコンビに関する取材をしたノンフィクション、第二章が西山自身の章、西山自身の球歴・中学時代から桑田を知る西山だからこそ語れる桑田真澄の凄さが詳細に語られる、ISBN 978-4835616926

出演番組

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  • ラジオ日本ジャイアンツナイター(RFラジオ日本)(2011年~。MBSラジオにも定期的に出演している関係上、朝日放送ラジオが本番カードとする中継は出演しない)
  • Veryカープ! RCCカープデーゲーム中継(中国放送。RFラジオ日本からの土・日曜デーゲームの巨人およびロッテ主催試合の裏送りおよび同局技術協力の自社制作時に出演)
  • GAORAプロ野球中継(日本ハム戦)(2011年~)
  • TSS全力応援! Carp中継テレビ新広島)(2014年~)
  • MBSベースボールパークMBSラジオ)(2016年から定期的にゲスト解説者として。それ以前にも単発のゲスト出演あり。RFラジオ日本との関係上、阪神ホームゲーム中継への出演は、聴取率調査週間に火 -木曜ニッポン放送およびNRN・金曜文化放送およびJRN・土・日曜ニッポン放送およびJRN向けを裏送りとして、自社ローカルを別制作する場合や、同局とネットを組む金曜日や、土曜デーゲームや月曜日のうちビジター地元局へのネットがないカード(主に関東圏の球団やオリックスとの対戦)に限定。ビジターゲームではネット局が発生しない場合に限りニッポン放送制作分に出演する場合あり)

脚注

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  1. ^ a b 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P125。
  2. ^ 【OBに質問61】中学時代の桑田投手の印象は? OBTV
  3. ^ OBが語るドラフト思い出話〜西山秀二編〜「先輩がいるところは嫌だなあと思っていたのに、マジか!と思いましたよ(笑)」 OBTV
  4. ^ a b 「もうこれ以上はタダで殴られるのは嫌だ」衝撃のプロ野球に進んだ理由と大爆笑の南海ホークス時代を暴露 - 片岡篤史チャンネル
  5. ^ 【西山事件簿】罰金3000ドル事件が勃発!西山さんが語る「トレードになった裏側」と「広島カープの厳しさ」 - YouTube
  6. ^ 矢崎良一『不惑 : 桑田・清原と戦った男たち』ぴあ、48ページ、2008年、ISBN 978-4-8356-1692-6
  7. ^ 【トレード裏話】西山秀二が経験したシーズ - OBTV公式YouTubeチャンネル
  8. ^ 【OB裏話】高卒1年5ヶ月でトレードされた西山秀二。広島移籍の真相は!? OBTV
  9. ^ 坂倉将吾は2021年に打率.315(ランキング2位)を記録しているが、捕手としての出場は62試合に留まったため、西山以来2人目となる「球団捕手の規定打席に到達して打率3割を記録」には扱われなかった。
  10. ^ 西山秀二”. VICTORY ALL SPORTS NEWS. 2021年4月8日閲覧。
  11. ^ 伊原ヘッドコーチがフロント入り、篠塚、西山、緒方3コーチが退団へ
  12. ^ 元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 - 大学・社会人”. 日刊スポーツ (2017年2月8日). 2017年2月8日閲覧。
  13. ^ ドラゴンズニュース ★来季コーチングスタッフのお知らせ”. 中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト. 中日ドラゴンズ (2021年10月29日). 2021年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月29日閲覧。
  14. ^ “【中日】西山秀二、荒木雅博、中村紀洋コーチが退任 引退の大野奨太、堂上直倫、福田永将が新任”. 日刊スポーツ. (2023年10月4日). https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202310040000796_m.html 2023年10月11日閲覧。 
  15. ^ 【西山秀二氏の眼】岡田阪神は「3年前と全く違う雰囲気、そら強いわ」 前中日コーチが感じた強さの理由”. デイリースポーツ (2024年2月7日). 2024年2月10日閲覧。
  16. ^ a b c d 2年目途中に南海から広島へトレード移籍。低い期待値から正捕手に上り詰めた西山秀二【プロ野球回顧録】 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年4月8日閲覧。
  17. ^ 球史に残る乱闘劇。当事者が明かす「伏線があった」 - ライブドアニュース
  18. ^ 【最終章】「わけのわからない打者‼︎」西山秀二さんが選ぶ捕手から見て歴代素晴らしい打者について - YouTube

関連項目

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外部リンク

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