西岡斌
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西岡 斌(にしおか さかん、1896年(明治29年)8月20日[1] - 1960年(昭和35年)9月26日[2])は、日本の政治家。北海道稚内市長(3期)。
来歴
[編集]北海道出身。1924年、中央大学法律専門部卒[1]。卒業後はアメリカに留学し、オックス・フォード・ラスキンカレッジ経済学部で学んだ[1]。帰国後は宗谷日日新聞を創刊、1932年に北海道会議員となり、稚内町長に就任するまで務めた[1]。この間、調陽塾を開き、青少年の教育に力を注いだ[1]。1947年、稚内町長に就任[1]。2年後の1947年の市制施行に伴い、稚内市長に就任した[1]。1951年の市長選挙で再選[3]。1955年の市長選挙で三選[3]。1959年に市長を退任した。同年、市の顧問となった[1]が、翌1960年に死去した[2][注 1]。死去後、稚内市から名誉市民を贈られた[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本の歴代市長』第1巻、116頁には「(昭和)三十九年(1964年)七月稚内市港湾審議会顧問を兼ねたが、同年七月に逝去した」と記載。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。