敦賀一夫
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敦賀一夫 つるが かずお | |
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生年月日 | 1922年1月21日(102歳) |
出生地 | 日本 北海道宗谷郡稚内町 |
出身校 | 札幌逓信講習所卒業 |
前職 | 稚内郵便局勤務 |
所属政党 |
(日本社会党→) 無所属 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1991年5月1日 - 1999年4月30日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1959年 - 1963年 |
敦賀 一夫(つるが かずお、1922年〈大正11年〉1月21日[1] - )は、日本の政治家。元北海道稚内市長(2期)。
来歴
[編集]北海道宗谷郡稚内町出身[1]。札幌逓信講習所卒[1]。卒業後は稚内郵便局に勤務し[1]、地区労働組合事務局長を経て[1]、1959年(昭和34年)に稚内市議会議員を1期務める[2]。その後は日本電信電話公社に勤務し、1971年(昭和46年)に共同ボデー工業株式会社取締役社長に就任[注釈 1]。1967年(昭和42年)と1971年の2回北海道議会議員選挙に稚内市選挙区から社会党公認で立候補したが、いずれも落選した[4][5]。
1991年稚内市長選挙
[編集]1991年(平成3年)、8期32年務めた現職の浜森辰雄を破って稚内市長に当選する[1][6][7]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
敦賀一夫 | 69 | 無所属 | 新 | 14,285票 | 51.1% | - |
浜森辰雄 | 75 | 無所属 | 現 | 13,671票 | 48.9% | - |
1995年稚内市長選挙
[編集]自民党推薦の新人ほか1人との争いとなったが、これを破って再選を果たした[8]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
敦賀一夫 | 73 | 無所属 | 現 | 17,587票 | 64.3% | - |
佐藤克 | 49 | 無所属 | 新 | 6,318票 | 23.1% | - |
渡辺郁夫 | 63 | 無所属 | 新 | 3,434票 | 12.6% | 自民推薦 |
2022年(令和4年)1月21日に工藤広市長から100歳を祝福された[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』349頁。
- ^ 『稚内市史』375頁。
- ^ “北海道稚内市長 敦賀一夫氏”. www.jiti.co.jp. 2024年3月11日閲覧。
- ^ 『道政コンサイス 最新50年版 227コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『資料北海道労働運動史 昭和43~47年 1329コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 年表-稚内市
- ^ 『毎日選挙全記録 1991統一地方選挙 127コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『北海道経済 7月(352) 10コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “敦賀さんの100歳を祝う きょう誕生日 長寿秘訣は深酒せず、散歩をし”. 稚内プレス (2022年1月21日). 2022年1月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 稚内市史編纂室編『稚内市史』稚内市、1968年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
外部リンク
[編集]- 北海道稚内市長 敦賀一夫氏建設グラフ1998年5月号