西川太治郎
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西川 太治郎(にしかわ たいじろう、元治元年5月17日(1864年6月20日) - 昭和17年(1942年)6月15日[1])は、衆議院議員(立憲同志会→憲政会)、大津市長。
経歴
[編集]近江国浅井郡南浜村(現在の滋賀県長浜市)出身。同人社で学んだ後、1888年(明治21年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業した[2]。卒業後、山梨日日新聞の記者となり、3年後に近江新報に主筆として招かれ、1896年(明治29年)には社長に就任した。その一方で、前田正名の地方産業振興運動に加わって全国を奔走。さらに農商務省の嘱託として、1898年(明治31年)に清の商工業を視察、1903年(明治36年)には北清やシベリアでの日本製品販売の調査を行った。
1899年(明治32年)、大津市会参事会員となり、大津商業会議所会員、同会頭を歴任し、1907年(明治40年)に県会議員に当選した[3]。1908年(明治41年)には大津市長に選出され、1910年(明治43年)まで務めた。
1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第13回衆議院議員総選挙でも再選された。
その他、埋もれた志士や学者の顕彰に取り組み、池田屋事件で処刑された一族の西川耕蔵の招魂碑を建立した。
著書
[編集]- 『全国週遊日記』(1897年)
- 『池田屋事変殉難烈士伝』(1904年)
- 『長等の桜』(1927年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。
- 滋賀新報社編『御大典記念 滋賀県名士録』滋賀県名士録刊行会、1929年。
公職 | ||
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先代 村田虎次郎 |
大津市長 4代:1908年 - 1910年 |
次代 田村善七 |