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西志村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
にししそん
西志村
廃止日 1917年12月1日
廃止理由 新設合併
西志村福米村東志村高城村
現在の自治体 倉吉市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
東伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 東志村、福米村、北谷村山守村
西志村役場
所在地 鳥取県東伯郡福米村大字上福田(組合村役場)
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西志村(にししそん[1][2])は、鳥取県東伯郡にあった。現在の倉吉市の一部にあたる。

地理

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久米が原台地、国府川上流の扇状地・段丘上に位置していた[2]

  • 河川:志村川[2]

歴史

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  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、久米郡今在家村、服部村、桜村、河来見村が合併して村制施行し、西志村が発足[1][2]。旧村名を継承した今在家、服部、桜、河来見の4大字を編成[2]。久米郡福米村、東志村と組合村を結成し、組合村役場を福米村大字上福田に設置[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により東伯郡に所属[2]
  • 1917年(大正6年)12月1日、東伯郡福米村、東志村と合併し高城村を新設して廃止された[1][2]。合併後、高城村大字今在家・服部・桜・河来見となる[2]

地名の由来

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志村川の西側の谷にあることにちなむ[2]

産業

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教育

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  • 1876年(明治9年)河来見村二子に志村谷学校河来見分校を開校[3]。1887年(明治20年)福田尋常小学校分校となる[2]

名所・旧跡

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脚注

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  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』592頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』580頁。
  3. ^ a b 「河来見〈倉吉市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』263頁。
  4. ^ 「桜〈倉吉市〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』364-365頁。

参考文献

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関連項目

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