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西日本プロレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西日本プロレス(にしにほんプロレス)は、かつて九州(特に熊本県)を中心に活動していたプロレス団体。末期は団体名をWJP(ダブリュー・ジェー・ピー、ウエスト・ジャパン・プロレスリング)と名乗っていた。

歴史

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1994年6月、地域密着型プロレス団体を掲げ設立されたみちのくプロレスの成功に触発されて、西日本プロレスを設立。同年、元PWC所属選手の高野拳磁と元W★INGプロモーション所属選手の島田宏が入団。12月22日熊本市総合体育館で旗揚げ戦を開催。高野は旗揚げ戦の1試合に出場したのみで退団してしまう。

1995年、元ユニオンプロレス所属選手のホー・デス・ミン、元W★ING所属選手の徳田光輝が入団。同年、木村浩一郎、ホー、徳田が退団[1]

九州(特に熊本県)を中心に活動しつつ、東京にも進出して後楽園ホール大会を開催したが苦戦した。

1996年12月、幸村剣士郎相島俊介守永安広が退団。

1997年1月、幸村が九州求道軍(現:プロレスリング求道軍)を設立して活動するなど内部に混乱が生じて、事実上興行機能を失った。

1998年1月、再入団した相島と水前寺をエースに据えて、団体名をWJPに改称し立て直しを図ったが、相島と水前寺が世界のプロレスに引き抜かれたため、代わって川崎賢一をエースに据えるものの状況は好転せず解散。

設立当初はスポンサーも付き順調なスタートを切ったが、同じように地域密着を目的としたみちのくプロレスが、ザ・グレート・サスケスペル・デルフィンの活躍で全国区の知名度を獲得したことに比べて、唯一知名度のあった高野の退団以降は知名度のある所属選手が存在せず、観客動員で苦戦した。それに加えて、スポンサーの撤退や所属選手同士の分裂等の問題もあり、結局充分な活動を行うことができずに事実上崩壊する形になった。

旗揚げ戦にはPWC所属を標榜していた高野を据えたこと、素顔時代の菊タローといった多くのインディペンデント団体を中心に活動する選手、いわゆる怪奇派を中心とした覆面レスラーが多く参戦するなど、事実上興行はフリー選手、他団体所属選手に依存していた。

所属選手

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関連書籍

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脚注

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  1. ^ 1995年、退団したホー・デス・ミン徳田光輝Jet'sの設立を画策するも資金面などから旗揚げ前に崩壊。