西村千太郎
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西村 千太郎(にしむら せんたろう、1907年3月12日 - 1994年7月21日[1])は、日本の画家。名古屋造形芸術短期大学教授であった。
経歴
[編集]1907年、愛知県名古屋市に生まれる[2]。子供の頃から画業に興味を持ち、画家の森村宜稲の下で日本画を学ぶ[2]。1922年、鈴木不知の名古屋洋画研究所に入門し、洋画を学んだ[2]。小澤不撓美、高木亀雄、尾沢辰夫らと出逢い、互いに切磋琢磨する。1924年、尾沢辰夫らと「アザミ会」を結成した[2]。1930年、横井礼以の下で学ぶ。1932年、尾沢辰夫らとフォーブ美術協会を退会し、「美術新選手」を結成した[2]。1994年、脳梗塞で死去[1]。
主な作品
[編集]- 「過ぎたるは及ばず」(昭和28年二科賞)
出典
[編集]- ^ a b 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「物故者記事>西村千太郎」(2019年6月6日)、2019年7月1日閲覧。
- ^ a b c d e “西村千太郎 作者データ&作品一覧”. 刈谷市美術館. 2019年7月1日閲覧。