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鈴木不知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 不知
鈴木 不知
生誕 1870年
日本の旗 名古屋藩
愛知郡名古屋城下
死没 1930年11月8日
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 洋画
代表作 『山畑』(1910年
流派 写実派
受賞 文展入選(1910年)
民族 大和民族
活動期間 1897年 - 1930年
影響を受けた
芸術家
小山正太郎
影響を与えた
芸術家
西村千太郎
小澤不撓美
高木亀雄
尾澤辰夫
市野長之介
筧忠治

鈴木 不知(すずき ふち、1870年 - 1930年昭和5年〉11月8日[1])は、日本画家

白雲会主宰、名古屋洋画研究所主宰などを歴任した。

概要

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名古屋藩出身の洋画家である。愛知県にて西村千太郎尾澤辰夫ら多数の門弟を育成するとともに[2]、愛知県の画壇においては野崎華年らとともに中心に位置づけられていた[3]。そのため「名古屋洋画壇の泰斗」[4]「愛知県洋画壇の草分け」[5]などと評された。

来歴

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生い立ち

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1870年[6]名古屋藩愛知郡名古屋城下にて生まれた[註釈 1]。不知のは、かつて尾張藩藩士として尾張德川家に仕えており[5]、不知はその三男である[5]。しかし、版籍奉還による府藩県三治制が成立した結果、不知が生まれた当時、德川家の所領であった尾張藩は、単なる行政区画の一つとして位置づけられた名古屋藩となっていた。

不知は画業を志し、1889年(明治22年)に上京した[5][6]画家である小山正太郎が主宰する不同舎の門を叩き[5][6]洋画を学んだ。

画家として

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鈴木不知筆『山畑』1910年

1897年(明治30年)に愛知県に帰郷した[5][6]。自身が主宰する洋画塾として白雲会を設立し[5][6]、後進の洋画家の育成に努めた[5][6]。のちに白雲会は名古屋洋画研究所に移行したが[5][6]西村千太郎[2]小澤不撓美[2]高木亀雄[2]尾澤辰夫[2]市野長之介[7]筧忠治[8]、多数の洋画家を輩出した[6][3]。指導にあたっては、門弟の自由研究を重んじており[9]、助言は必要最小限にしていた[9]。なお、鈴木自身は写実派であったが[6]、門弟の中からは尾澤のように「名古屋のシュルレアリスム」を担う超現実派も巣立っている[10]

1930年昭和5年)に死去した。

作品

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イタリア風の写実主義を特徴としている[5][6]1910年(明治43年)に制作した『山畑』を同年の文展に出品したところ[5][6]、愛知県からの出品作品としては史上初めての入選を果たした[5][6]。なお、『山畑』は愛知県美術館に収蔵されており[5]、愛知県における芸術を回顧する「アイチアートクロニクル 1919 - 2019」でも展示された[11]

人物

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名古屋洋画研究所にて多数の門弟を育てているが[6][3]1922年大正11年)発行の『續名古屋新百人物』には「門弟数百人」[12]と記されている。

また、に取り組んでおり[3]、心身の修養に努めていた[3]

略歴

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賞歴

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師匠

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門弟

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脚注

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註釈

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出典

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  1. ^ 服部徳次郎『名古屋の文化 平和公園の仏たち』名古屋市教育委員会〈文化財叢書第87号〉、1986年、41頁。 
  2. ^ a b c d e 「略歴・解説」『西村千太郎 : 作者データ&作品一覧 | 収蔵作品データベース | 刈谷市美術館刈谷市美術館
  3. ^ a b c d e 馬場守次『續名古屋新百人物』珊珊社、1922年、140頁。
  4. ^ 馬場守次『續名古屋新百人物』珊珊社、1922年、139頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「山畑」『[ID:5410] 山畑 : 作品情報 | コレクション検索 | 愛知県美術館愛知県美術館
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「鈴木不知《風景》」『鈴木不知 『風景』  油絵の販売 [古美術こもれび]』古美術こもれび。
  7. ^ 「略歴・解説」『市野長之介 : 作者データ&作品一覧 | 収蔵作品データベース | 刈谷市美術館刈谷市美術館
  8. ^ 「プロフィール」『岐阜県:第1回 円空賞 筧岐阜県庁
  9. ^ a b 「2000年秋季特別展――筧忠治 KAKEHI Chuji――平成12年10月21日(土)〜11月23日(木)」『一宮市博物館だより』27号、一宮市博物館2000年10月11日、2頁。
  10. ^ 陶山伊知郎「医学博士・俳人馬場駿吉×『アイチアートクロニクル 1919-2019』」『医学博士・俳人 馬場駿吉 ×「アイチアートクロニクル 1919-2019」【スペシャリスト 鑑賞の流儀】 - 美術展ナビ|アート・エキシビション・ジャパン読売新聞グループ本社読売新聞東京本社読売新聞大阪本社読売新聞西部本社
  11. ^ 能勢陽子「『地域美術史』のこれから――アイチアートクロニクル 1919 - 2019」『「地域美術史」のこれから──アイチアートクロニクル1919-2019:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape大日本印刷2019年5月15日
  12. ^ 馬場守次『續名古屋新百人物』珊珊社、1922年、141頁。

関連項目

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関連文献

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  • 服部徳次郎編著『愛知画家名鑑』愛知画家顕頌会、1997年NCID BA30405322
  • 中山真一著『愛知洋画壇物語』PART2、風媒社2016年ISBN 9784833145916