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西村卓朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西村 卓朗
名前
愛称 タクロー
カタカナ ニシムラ タクロウ
ラテン文字 NISHIMURA Takuro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1977-08-15) 1977年8月15日(47歳)
出身地 東京都新宿区[1]
身長 176cm[1]
体重 68kg[1]
選手情報
ポジション DF
ユース
1993-1995 日本の旗 三菱養和
1997-2000 日本の旗 国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2004 日本の旗 浦和レッズ 0 (0)
2004-2008 日本の旗 大宮アルディージャ 82 (1)
2009 アメリカ合衆国の旗 ポートランド・ティンバーズ 13 (0)
2010 アメリカ合衆国の旗 クリスタル・パレス・ボルチモア 19 (0)
2011 日本の旗 コンサドーレ札幌 1 (0)
通算 115 (1)
監督歴
2013-2015 日本の旗 VONDS市原
1. 国内リーグ戦に限る。2015年12月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

西村 卓朗(にしむら たくろう、1977年8月15日 - )は、東京都新宿区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。英文学者西村孝次の孫。

来歴

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三菱養和の出身で、一年間の浪人生活[2]を経て、国士舘大学に進学しJFLでもプレーした。

大学卒業後、浦和レッドダイヤモンズに入団。2004年7月、浦和から大宮アルディージャに期限付き移籍し[3]、J1昇格に貢献した。2005年より大宮に完全移籍した[1]

トリッキーなドリブルでサイドを突破する自他共に認める健康オタク。徹底した健康管理がチームメイトの共感を集めた。永井雄一郎に肉体改造のすすめを説いたのも西村である。また、埼玉県朝霞市のコミュニティFMである「すまいるエフエム」にて、『西村卓朗の玄米生活』というレギュラー番組を持ち、パーソナリティーを務めていた。2008年シーズン終了後、大宮を退団し渡米。USL1部リーグのポートランド・ティンバーズに加入した。

2009年12月に帰国し、湘南ベルマーレフットサルクラブに加入[4]フットサル選手としてプレーしていたが、2010年2月9日にUSSFディビジョン2プロフェッショナルリーグクリスタルパレス・ボルチモア英語版への移籍が発表された。シーズン終了後退団、シンガポール、ドイツなどでテストを受け、2011年、練習参加していたコンサドーレ札幌に加入するが同年12月に戦力外通告を受け、1年限りで退団、後に引退を発表[5]

2012年には浦和のスクールコーチを務めた。

2013年、関東サッカーリーグVONDS市原FCゼネラルマネージャー兼監督に就任。2015年5月に監督を退任し、ゼネラルマネージャー兼コーチとなる。

2016年より水戸ホーリーホックの強化部長に就任した[6]

2019年9月、水戸ホーリーホックのゼネラルマネージャーに就任。強化部長職との兼任となる[7][8][9]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 国士大 旧JFL - 2 0
1999 2 JFL 5 0 - 2 0 7 0
2000 3 0 - 0 0 3 0
2001 浦和 30 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 18 0 0 0 0 0 0 0 0
2003 0 0 0 0 0 0 0 0
2004 0 0 0 0 - 0 0
大宮 35 J2 15 0 - 3 0 18 0
2005 18 J1 31 1 8 1 4 0 43 2
2006 12 0 4 0 1 0 17 0
2007 24 0 5 0 0 0 29 0
2008 0 0 1 0 0 0 1 0
アメリカ リーグ戦 リーグ杯USオープン杯 期間通算
2009 ポートランド 20 USL1部 13 0 - 0 0 13 0
2010 ボルチモア 16 USSF D2 19 0 - 1 0 20 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011 札幌 29 J2 1 0 - 1 0 2 0
通算 日本 J1 67 1 18 1 5 0 90 2
日本 J2 16 0 - 4 0 20 0
日本 JFL 8 0 - 2 0 10 0
日本 旧JFL - 2 0
アメリカ USL1部 13 0 - 0 0 13 0
アメリカ USSF D2 19 0 - 1 0 20 0
総通算 18 1 14 0

指導歴

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出典

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  1. ^ a b c d 西村卓朗選手、完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)浦和レッズ、2004年12月29日http://www.urawa-reds.co.jp/topteamtopics/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E5%8D%93%E6%9C%97%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%80%81%E5%AE%8C%E5%85%A8%E7%A7%BB%E7%B1%8D%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/2015年12月29日閲覧 
  2. ^ 哲学的志向のフットボーラー、西村卓朗を巡る物語「第一回 手紙」”. サッカーキング (2015年4月7日). 2019年10月20日閲覧。
  3. ^ 西村卓朗選手 大宮へ期限付き移籍のお知らせ』(プレスリリース)浦和レッドダイヤモンズ、2004年7月26日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000097862017年10月26日閲覧 
  4. ^ 湘南ベルマーレフットサルクラブ 西村卓朗選手 新加入のお知らせ』(プレスリリース)湘南ベルマーレ、2009年12月17日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000941872017年10月26日閲覧 
  5. ^ コンサドーレ札幌 西村卓朗 選手 現役引退 および 浦和レッドダイヤモンズ サッカースクール コーチ 就任のお知らせ』(プレスリリース)コンサドーレ札幌、2012年1月14日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=001313792017年10月26日閲覧 
  6. ^ 西村 卓朗氏 強化部長 就任のお知らせ』(プレスリリース)水戸ホーリーホック、2015年12月29日。オリジナルの2016年1月2日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20160102182545/http://www.mito-hollyhock.net:80/?p=256452015年12月29日閲覧 
  7. ^ 西村 卓朗 GM就任のお知らせ』(プレスリリース)水戸ホーリーホック、2019年9月20日http://www.mito-hollyhock.net/news/15719/ 
  8. ^ 「西村卓朗強化部長のGM就任で何が変わるのか」【コラム】”. デイリーホーリーホック (2019年9月20日). 2020年2月7日閲覧。
  9. ^ 安藤隆人 (2020年2月7日). “異色のGM、水戸・西村卓朗の仕事。選手とJクラブを育て、街を育てる。”. Number. 2020年2月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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