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西村欣也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西村 欣也(にしむら きんや、1956年3月[1] - 2023年7月1日[2])は、日本のスポーツ記者。元朝日新聞社編集委員大阪府出身。

略歴

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早稲田大学法学部卒業後、報知新聞社に入社。1980年より読売ジャイアンツ番記者となり、主に当時ジャイアンツのエースピッチャーだった江川卓を担当する[3]。その関係で江川とは懇意の仲となり、江川が引退後に出版した自叙伝「たかが江川されど江川」では共著者を務めている。ただし、いわゆる江川事件(空白の一日事件)については当時から一貫して批判的な立場で、特に江川が法学部出身であることから「法律を学んだものなら『空白の一日』なんて存在しないことは容易にわかったはずだ」と本人に直言している[4]

1990年に朝日新聞社に移る。1997年より運動部編集委員、1999年より編集局特別編集委員[5]。同紙スポーツ面に署名入りエッセイ記事「EYE 西村欣也」を長年にわたり執筆している。定年により2016年2月27日でコラム終了[6]

主にプロ野球を専門としている。特に2004年のプロ野球再編問題では、球団経営陣による1リーグ化への推進に対して、再編反対の論陣を張り、注目を集めた[7]

2016年3月30日のテレビ朝日、ニュース番組「報道ステーション」で、プロ野球・読売巨人軍の選手が公式戦の試合前の円陣で行なう「声出し」に絡んで、選手間で現金のやり取りが行われていた問題について、「第三者委員会では限界があるんで司直の手に委ねるしかないのに、なぜそれをコミッショナーがしないかというと、読売グループの巨大な力を持っている方が圧力をかけている」とコメント。しかし、巨人は野球賭博問題が発覚した2015年10月、警視庁に相談し捜査を進めてもらっており、巨人は「西村氏のコメントは公知の事実を歪曲しているだけなく、何ら根拠のない発言」と抗議。番組では後日、「確認の取材も別途していませんでした」と謝罪した[8]

朝日新聞社には65歳までの再雇用制度があるが、その制度を使わず、2016年に60歳で退社[6]

2023年7月1日、67歳で死去[7]

著書

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  • 『たかが江川されど江川』(新潮社、1988年)※江川卓、玉置肇永瀬郷太郎と共著
  • 『朝日新聞が伝えたプロ野球』(小学館文庫、1999年) ISBN 4094167412
  • 『神の領域を覗いたアスリート』(朝日新聞出版、2007年) ISBN 978-4022731296
  • 『EYE 西村欣也』シリーズ (朝日新聞社電子書籍
    • 1 プロ野球 海渡 メジャーへ
    • 2 プロ野球 再編 カウントダウン

脚注

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  1. ^ 「たかが江川されど江川」(新潮文庫版、以下同じ)p.209
  2. ^ 朝日新聞2023年7月3日付
  3. ^ 「たかが江川されど江川」p.210
  4. ^ 「たかが江川されど江川」pp.210 - 214
  5. ^ 神の領域を覗いたアスリート - HMV
  6. ^ a b 西村欣也 (2016年2月27日). “スポーツというレンズがあったから 最後に三つのことを”. EYE西村欣也. 朝日新聞. 2016年2月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月29日閲覧。
  7. ^ a b “西村欣也さん死去”. 朝日新聞. (2023年7月3日). https://www.asahi.com/articles/DA3S15676916.html 2023年7月3日閲覧。 
  8. ^ 「テレ朝 巨人軍報道で謝罪朝日編集委員コメント 「事実確認の取材せず」」『読売新聞』2016年3月31日、38面。