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西河翔吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西河 翔吾
名前
愛称 ショーゴ
カタカナ ニシカワ ショウゴ
ラテン文字 NISHIKAWA Shogo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-07-01) 1983年7月1日(41歳)
出身地 広島県広島市中区
身長 182cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム FCセリオーレ
ポジション DF
背番号 30
利き足 右足
ユース
1999-2001 日本の旗 沼田高校
2002-2004 日本の旗 広島修道大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2009 日本の旗 サンフレッチェ広島 20 (0)
2006-2008 日本の旗 徳島ヴォルティス (loan) 85 (3)
2009 日本の旗 モンテディオ山形 (loan) 14 (1)
2010-2015 日本の旗 モンテディオ山形 129 (8)
2016-2018 日本の旗 横浜FC 77 (3)
2018 日本の旗 栃木SC (loan) 17 (1)
2019 日本の旗 FC琉球 6 (0)
2020- 日本の旗 FCセリオーレ
通算 348 (16)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

西河 翔吾(にしかわ しょうご、1983年7月1日 - )は、広島県広島市中区出身のサッカー選手(元プロサッカー選手ディフェンダー)。

2017年に結婚[1]

2019年、FC琉球HP上では未婚となっていることから離婚したとみられる[2]

来歴

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中学時代は広島大河フットボールクラブに所属。この頃からDFとしてプレーし始めた。広島市立沼田高校から広島修道大学商学部経営学科へ進学し、サッカー部に所属[3]。在籍中、サンフレッチェ広島のホームである広島ビッグアーチボールボーイをしていたこともある[4]

転機となったのは2003年、天皇杯広島県予選にあたる全広島サッカー選手権大会で、サンフレッチェ広島ユースと対戦した際に、スカウトの足立修の目に留まりサンフレッチェ広島の練習に参加。監督の小野剛にも認められ、翌2004年2月に特別指定選手となり、公式戦6試合に出場[3]

また、2004年12月には修道大学の主力として全日本大学サッカー選手権大会に出場し、予選リーグ初戦で筑波大学と対戦、当時筑波に所属していた平山相太を抑え、勝利に貢献した[5]。ただ、同大会決勝トーナメント初戦も同じカードで敗戦している。

その後シーズン終了後に現役大学生のままプロ契約を交わしJリーガーとなった[6]。同期入団は前田俊介佐藤昭大髙柳一誠森脇良太桒田慎一朗中尾真那入船和真。2005年終盤にはレギュラーとして活躍。2006年3月には広島修道大学を卒業したが、チームの不振や監督交代もあり、出場機会が激減した。

2006年9月に出場機会を求め、即戦力DFを求めていた徳島ヴォルティスへレンタル移籍。レギュラーを獲得し、一時はゲームキャプテンも務め、レンタル元の広島からゴールを奪うなど活躍した。2009年、広島へ復帰した[7]

しかし、ディフェンダーにパスワークへの参加、足元の技術を求めるミハイロ・ペトロヴィッチ監督のスタイルに対応することが出来ず、半年後の2009年6月には、主力に怪我人が続出していたモンテディオ山形へ再びレンタル移籍した。加入後すぐに主力に定着し、移籍初戦で1ゴール1アシストしチームの勝利に貢献[8]。その後も活躍を続け、守備の要として山形のJ1残留に貢献し、山形への完全移籍を果たした。

2016年に横浜FCに完全移籍[9]

2018年、栃木SCへ期限付き移籍[10]。 2018年12月6日、横浜FCは期限付き移籍の終了と契約期間の満了を発表[11]

2019年、FC琉球へ移籍[12]

2019年12月、現役引退とFC琉球のフロントスタッフ就任が発表された[13]。なお、プロサッカー選手としての引退であり、2020年は前述のFC琉球フロントスタッフと並行して沖縄県1部リーグのFCセリオーレに所属しプレーを続けている。

エピソード

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  • 2010年6月、NDソフトスタジアム山形で行われたファン感謝デーにおける「男前ダービー」で初代王者に輝いた(来場者の投票によるもの)。西河本人は投票者に謝意を示しながらも、優勝者の衣装に「恥ずかしいです…。」とコメントしている[14]
  • 2011年11月24日、山形市十日町で人身事故を起こし、モンテディオを運営する県スポーツ振興21世紀協会によって11月26日に予定されている次戦(名古屋戦)の出場禁止を命じられ、自動車安全運転講習(期日未定)までの運転禁止を課された。
  • 2022年9月29日、FC琉球の元スタッフ2人にハラスメントをしたと一方的に認定され、不当に解雇されたとして、クラブを運営する琉球フットボールクラブに地位確認などを求め、那覇地裁に提訴した。[15]

所属クラブ

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ユース経歴
プロ・アマチュア経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004 広島 34 J1 5 0 1 0 0 0 6 0
2005 22 13 0 0 0 2 0 15 0
2006 2 0 3 0 - 5 0
徳島 33 J2 8 0 - 1 0 9 0
2007 6 42 1 - 1 0 43 1
2008 35 2 - 1 0 36 2
2009 広島 3 J1 0 0 0 0 - 0 0
山形 34 14 1 - 2 0 16 1
2010 4 18 1 3 0 4 1 25 2
2011 11 0 1 0 0 0 12 0
2012 J2 37 1 - 2 1 39 2
2013 22 4 - 3 0 25 4
2014 14 0 - 0 0 14 0
2015 J1 27 2 5 0 2 0 34 2
2016 横浜FC 5 J2 42 1 - 1 0 43 1
2017 35 2 - 1 0 36 2
2018 栃木 3 17 1 - 0 0 17 1
2019 琉球 30 6 0 - 1 0 7 0
2020 セリオーレ 沖縄県1部 - -
通算 日本 J1 90 4 13 0 10 1 113 5
日本 J2 258 12 - 11 1 269 13
日本 沖縄県1部 - -
総通算 348 16 13 0 21 2 382 18

出場歴

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代表・選抜歴

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脚注

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  1. ^ DF西河翔吾選手入籍のお知らせ”. 横浜FCオフィシャルホームページ. 2019年11月12日閲覧。
  2. ^ FC琉球公式サイト | FC Ryukyu Official Website”. fcryukyu.com. 2019年11月12日閲覧。
  3. ^ a b 広島経修道大学同窓会. “インタビュー”. 2009年9月4日閲覧。
  4. ^ 修道大学とビッグアーチはすぐ近くにあるため、サッカー部に所属している選手がボールボーイを担当している。
  5. ^ 中国新聞 (2005年1月20日). “飛翔へ サンフレの新人たち”. 2009年9月4日閲覧。
  6. ^ 広島経修道大学同窓会. “西河とプロ契約 サンフレ”. 2009年9月4日閲覧。
  7. ^ サンフレッチェ・ラジオ・サポーターズクラブ “GOA〜L” (2009年1月13日). “西河翔吾選手をゲストにお迎えしました”. 2009年9月4日閲覧。
  8. ^ J's GOAL (2009年8月30日). “【J1:第24節 山形 vs 広島】プレビュー”. 2009年9月4日閲覧。
  9. ^ DF西河翔吾選手モンテディオ山形より 完全移籍加入のお知らせ - 2015年12月21日 横浜FC公式サイト
  10. ^ 西河 翔吾選手 横浜FCより期限付き移籍加入のお知らせ - 2018年1月10日 栃木SC公式サイト
  11. ^ DF新井ら3選手との契約を満了【横浜FC】”. Jリーグ (2018年12月6日). 2022年12月3日閲覧。
  12. ^ 西河 翔吾選手 移籍加入のお知らせ - 2018年12月26日 FC琉球公式サイト
  13. ^ 西河翔吾選手 現役引退とフロントスタッフ就任のお知らせ - 2019年12月13日 FC琉球公式サイト
  14. ^ 日刊スポーツ.山形「男前ダービー」西河が初代王者.2010年6月13日閲覧
  15. ^ FC琉球の元選手がクラブを提訴 「ハラスメントを一方的に認定」と不当解雇主張 那覇地裁

関連項目

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外部リンク

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