西洞院時子
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この項目では、後陽成天皇の掌侍(西洞院時慶の娘)について説明しています。中御門天皇の外祖母(三条西実教の娘で西洞院時成の養女・櫛笥隆賀の妻)については「六条局」をご覧ください。 |
西洞院 時子(にしのとういん ときこ[1]、? - 寛文元年7月27日(1661年8月21日))は、後陽成天皇の掌侍。父は参議の西洞院時慶。通称は新内侍、平内侍、勘解由小路局。平時子とも呼ばれる。
参議の西洞院時慶の娘として生まれる。1600年(慶長5年)に後陽成天皇に仕え、新内侍と称した後、平内侍と改称した。天皇との間には1609年(慶長14年)に永崇女王、1610年(慶長15年)に皇子の高雲院を生んだ[2]。
1661年8月21日(寛文元年7月27日)、死去[2][3]。
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