西洞院時慶
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天文21年11月5日(1552年11月20日) |
死没 | 寛永16年12月20日(1640年2月11日) |
改名 | 河鰭公虎→西洞院時通→時慶→円空 |
別名 | 平宰相、松庵 |
官位 | 従二位、参議 |
主君 | 正親町天皇→後陽成天皇→後水尾天皇 |
氏族 | 西洞院家 |
父母 |
父:覚澄、母:不詳 養父:河鰭季富→飛鳥井雅春→西洞院時当 |
兄弟 | 藤江雅良、時慶 |
妻 | 葛岡玄仲の娘、家女房 |
子 | 時子、時直、平松時庸、善忠、日勇、長谷忠康、交野時貞、万、中和門院女房、新上東門院新中納言局、行子、姉小路公景室 |
西洞院 時慶(にしのとういん ときよし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公家・歌人・医者。権大納言・飛鳥井雅綱の孫。安居院僧正・覚澄の子。官位は従二位・参議。西洞院家26代当主。号は松庵。
経歴
[編集]河鰭季富の養子となり、河鰭公虎(かわばた きんとら)と名乗る。その後、叔父の飛鳥井雅春の養子となったのち、西洞院時当(ときまさ)の養子となり、天正3年(1575年)に西洞院家の家督を相続する。孝蔵主を通じて高台院と親交があった。
六条有広と共に日本初の活版印刷である慶長勅版に携わる。慶長年間に後陽成天皇の勅許を得て、荒廃していた平野神社を再建した。寛永元年(1624年)8月26日に出家、法名「円空」。
寛永3年(1626年)7月24日、徳川秀忠・家光に従い上洛した伊達政宗が催した香席に、近衛信尋・一条兼遐兄弟らと共に、子の平松時庸と招かれており、その「饗応香会の記」が日本に現存する最古の香記録として残る(個人蔵)。
彼の日記は『時慶記』として残り、宮中を始めとして武家や芸能まで幅広い交際をうかがわせる。