西海市立崎戸小学校
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西海市立崎戸小学校 | |
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北緯33度01分19秒 東経129度34分06秒 / 北緯33.021833度 東経129.568472度座標: 北緯33度01分19秒 東経129度34分06秒 / 北緯33.021833度 東経129.568472度 | |
過去の名称 |
公立下等蠣浦小学校 簡易蠣浦小学校 尋常蠣浦小学校 蠣浦尋常小学校 蠣浦尋常高等小学校 崎戸町蠣浦国民学校 崎戸町立蠣浦小学校 崎戸町立崎戸小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 西海市 |
併合学校 |
崎戸町立崎戸小学校 崎戸町立昭和小学校 崎戸町立浅浦小学校 |
設立年月日 |
【創立】 1984年(明治7年)4月 【統合】 1968年(昭和43年)4月1日 |
創立記念日 | 5月10日 |
閉校年月日 | 2022年(令和4年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210001438 |
所在地 | 〒857-3101 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
西海市立崎戸小学校(さいかいしりつ さきとしょうがっこう, Saikai City Sakito Elementary School)は、長崎県西海市崎戸町蠣浦郷(蛎浦島)にあった公立小学校。略称は「崎戸小」(さきとしょう)、「崎小」(さきしょう)。
2022年(令和4年)3月末に閉校し、西海市立大島東小学校・西海市立大島西小学校の2校と統合の上、「西海市立大崎小学校」(校地は大島東小学校)が新設された[1]。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「公立下等蠣浦小学校」(蠣浦の読みは「かきのうら」)と「公立下等崎戸小学校」を前身とする。明治末期からの崎戸炭鉱の発展により、人口が増加していき、昭和初期には蛎浦島と崎戸島合わせて小学校が4校(蠣浦・崎戸・昭和・浅浦)あった。しかし1959年(昭和34年)をピークに人口が減少し始め、1968年(昭和43年)の炭鉱の閉山により、人口が急激に減少したため蠣浦小学校が他3校を吸収する形で、1校に統合され「崎戸町立崎戸小学校」に改称した。2019年(令和元年)に創立から145年(統合から51年)を迎えた。2022年(令和4年)3月末をもって閉校し、148年(統合から54年)の歴史に幕を下ろした。
- 学校教育目標
- 「夢を抱き追い求める子ども、ふるさとを大切にし誇りに思う子ども、困難なことに顔を背けず真向かっていく子どもの育成」
- 校章
- 海の波を図案化したものを背景にして、中央に「崎小」の文字(縦書き)を置いている。
- 校歌
- 統合された1968年(昭和43年)に新しい校歌が制定された。作詞は前田博、作曲は山口健作による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「崎戸小学校」が登場する。
- 校区
- 住所表記で西海市崎戸町の後に「蠣浦郷、崎戸本郷」が続く地域。中学校区は西海市立大崎中学校。
沿革
[編集]- 旧・蠣浦小学校(かきのうら)
- 1874年(明治7年)4月 - 学制に基づき、第十八学区第五小学区の小学校として、「公立下等蠣浦小学校」が開校。
- 蠣浦郷2118番地の旧・庄屋・家屋を校舎とし、児童約50名を収容。
- 1885年(明治18年)6月 - 学区が改正され、「面高[2]学区公立下等蠣浦小学校」に改称。学務世話係を設置。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、簡易科(3年制)を設置し、「簡易蠣浦小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、黒瀬村(後に大島町)が発足。黒瀬村立の小学校となる。
- 1890年(明治23年)
- この年 - 黒瀬村より崎戸村が分離・独立。崎戸村の小学校となる(ただし学校の運営は蠣浦郷の経費で賄う)。
- 10月 - 小学校令の改正により、簡易科を廃止し、尋常科(4年制)を設置した上で、「尋常蠣浦小学校」に改称。
- 1893年(明治26年)12月 - 小学校令の一部改正により、「蠣浦尋常小学校」に改称。
- 1904年(明治37年)4月 - 高等小学校等に進学しない児童を対象に補習科(2年制)を設置。
- 1906年(明治39年)4月 - 裁縫科を設置。
- 1907年(明治40年)
- 4月 - 崎戸村役場を仮校舎とする。
- この頃 - 石炭の採掘が始まり、徐々に人口が増加する。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育の年限が尋常科4年から尋常科6年までに延長されたため、尋常科5年を設置。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
- 1913年(大正2年)- 児童数の増加で校舎が不足したため、栗崎にあった中島甚兵衛の長屋を校舎として借用。
- 1915年(大正4年)4月 - 小学校の運営が蠣浦郷から崎戸村に変更となる。
- 1916年(大正5年)4月 - 高等科を併置し、「蠣浦尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。
- 1917年(大正6年)5月10日 - 校舎2棟を新築し、移転を完了。創立記念日を制定。
- 1919年(大正8年)4月 - 「蠣浦女子実業補習学校」を併設。
- 1921年(大正10年)5月 - 併設の実業補習学校に男子部が設置され、「蠣浦実業補習学校」(男子部・女子部)に改称。
- 1931年(昭和6年)10月1日 - 町制施行により、崎戸町が発足。
- 1933年(昭和8年)4月 - 併設の実業補習学校が蠣浦青年訓練所が統合され、男子部は「蠣浦実業青年学校」、女子部は「崎戸町立家政女学校」となる。
- 1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令の施行により、蠣浦実業青年学校は「蠣浦青年学校」に、崎戸町立家政女学校は「崎戸実践女子青年学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令の施行により、「崎戸町蠣浦国民学校」(初等科6年・高等科2年)に改称。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1948年(昭和23年)
- 3月31日 - 蠣浦青年学校・崎戸実践女子青年学校が廃止される。
- この年 - 給食調理室が完成し、学校給食を開始。
- 1949年(昭和24年)5月 - 「長崎県立佐世保商工業高等学校 [4]崎戸分校」が併設される。
- 1951年(昭和26年)
- 4月 - 併設の崎戸分校が、「長崎県立佐世保工業高等学校 崎戸分校」に改称。
- 9月 - 崎戸中学校の独立専用校舎(第二期工事)が完成し、併設の蠣浦分室が廃止される。
- 1952年(昭和27年)4月 - 併設の崎戸分校が長崎県立西彼杵高等学校大島分校との統合で「長崎県立大崎高等学校崎戸校舎」となる。
- 1954年(昭和29年)11月 - 大崎高等学校の独立専用校舎が完成し移転を完了。そのため高校との併設を解消。
- 1958年(昭和33年)5月 - 生徒数が最高の864名を記録する。
- 1960年(昭和35年)10月 - 校歌(旧校歌)を制定。
- 1965年(昭和40年)12月 - 新校舎(第一期工事)が完成。
- 1966年(昭和41年)9月 - 新校舎(第二期工事)が完成。
- 1968年(昭和43年)
- 旧・崎戸小学校(初代)
- 1874年(明治7年)4月 - 学制に基づき、第十八学区第五小学区の小学校として、「公立下等崎戸小学校」が開校。旧大村藩の崎戸庄屋家屋の一部を校舎とする。
- 1885年(明治18年)6月 - 学区が改正され、「面高[2]学区公立下等蠣浦小学校」に改称。学務世話係を設置。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、簡易科(3年制)を設置し、「簡易崎戸小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、黒瀬村(後に大島町)が発足。黒瀬村立の小学校となる。
- 1890年(明治23年)
- この年 - 黒瀬村より崎戸村が分離・独立。崎戸村の小学校となる(ただし学校の運営は崎戸本郷の経費で賄う)。
- 10月 - 小学校令の改正により、簡易科を廃止し、尋常科(4年制)を設置した上で、「尋常崎戸小学校」に改称。
- 1893年(明治26年)12月 - 小学校令の一部改正により、「崎戸尋常小学校」に改称。
- 1901年(明治34年)4月 - 高等小学校等に進学しない児童を対象に補習科(2年制)を設置。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育の年限が尋常科4年から尋常科6年までに延長されたため、補習科を廃止し尋常科5年を設置。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
- 1915年(大正4年)4月 - 小学校の運営が崎戸本郷から崎戸村に変更となる。
- 1916年(大正5年)4月 - 高等科を併置し、「崎戸尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。西校舎を新築。
- 1920年(大正9年)10月 - 浅浦分教場を設置。
- 1924年(大正13年)- 校舎を新築。
- 1925年(大正14年)10月 - 崎戸実業補習学校女子部を設置。その後間もなく男子部も設置される。
- 1930年(昭和5年)4月 - 浅浦分教場を新設の昭和尋常小学校に移管。
- 1933年(昭和8年)4月 - 併設の実業補習学校が崎戸青年訓練所が統合され、「崎戸実業青年学校」となる。
- 1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令の施行により、崎戸実業青年学校は「崎戸青年学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令の施行により、「崎戸町崎戸国民学校」(初等科6年・高等科2年)に改称。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1948年(昭和23年)4月 - 崎戸中学校崎戸分室が廃止される。
- 1959年(昭和34年)5月 - 児童数が最大の114名を記録する。
- 1967年(昭和42年)2月 - 校歌を制定。校旗が寄贈される。
- 1968年(昭和43年)3月31日 - 統合により閉校。閉校時の児童数は60名。
- 最終所在地 - 西彼杵郡崎戸町本郷1265番地
- 旧・昭和小学校(しょうわ)
- 1927年(昭和2年)頃
- 崎戸炭鉱の発展により、人口が増加したため校舎が不足し、二部授業が行われるなど、児童の収容に困難をきわめるようになってきた。そこで崎戸村では蠣浦・崎戸両校の増築を予期して、敷地の選定を開始。
- 1928年(昭和3年)頃 - 既存校の増築という方針を転換し、崎戸鉱業所のある地区に小学校1校を新設することが崎戸村議会で決定される。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 「昭和尋常小学校」が開校。崎戸尋常高等小学校より浅浦分教場が移管される。
- 学区改定により、崎戸炭鉱地域内(浅浦・菅無田・本杭の水浦・峰)の児童が蠣浦・崎戸両校より転入。
- 1931年(昭和6年)9月 - 浅浦分教場を廃止。
- 1932年(昭和7年)10月 - 校章を制定。
- 1934年(昭和9年)- 鉱業所が工費を投じた増築校舎が完成し、蠣浦小から土井浦・福浦・峰(一部)の児童が転入。
- 1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令により「崎戸鉱業所青年学校」が併設される。
- 1940年(昭和15年)- 10教室を増築。水ノ浦に運動場を整備。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、「崎戸町昭和国民学校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)が行われ、「崎戸町立昭和小学校」に改称。
- 1948年(昭和23年)4月 - 浅浦分校を設置し、低学年を収容。
- 1954年(昭和29年)4月 - 浅浦分校が分離し、「崎戸町立浅浦小学校」として独立。
- 1959年(昭和34年)5月 - 児童数が最大の2,720名(51学級)を記録。
- 1960年(昭和35年)12月 - 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成。
- 1963年(昭和38年)- 完全給食を開始。
- 1968年(昭和43年)
- 3月17日 - 崎戸炭鉱が閉山。
- 3月31日 - 統合により閉校。閉校時の児童数は373名。
- 最終所在地 - 西彼杵郡崎戸町蠣浦郷711番地(北緯33度00分44.0秒 東経129度34分28.3秒 / 北緯33.012222度 東経129.574528度)
- 旧・浅浦小学校(あさうら)
- 1920年(大正9年)10月 - 「崎戸尋常高等小学校 浅浦分教場」が設置される。
- 1930年(昭和5年)4月 - 移管により「昭和尋常小学校 浅浦分教場」となる。
- 1931年(昭和6年)9月 - 昭和尋常小学校本校に統合され、浅浦分教場は廃止される。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 「崎戸町立昭和小学校 浅浦分校」が設置される。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 昭和小学校から分離し、「崎戸町立浅浦小学校」として独立。
- 1958年(昭和33年)5月 - 生徒数が最大の584名を記録する。
- 1962年(昭和37年)10月 - 完全給食を開始。
- 1968年(昭和43年)
- 3月17日 - 崎戸炭鉱が閉山。
- 3月31日 - 統合により閉校。閉校時の児童数は180名。
- 最終所在地 - 西彼杵郡崎戸町本郷1714番地(北緯33度00分27.1秒 東経129度33分31.5秒 / 北緯33.007528度 東経129.558750度)
- 旧・崎戸小学校(二代目)
- 1968年(昭和43年)
- 1974年(昭和49年)6月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1981年(昭和56年)3月 - 体育館が完成。
- 1994年(平成6年)5月 - 崎戸中学校との合同運動会を開始。
- 1996年(平成8年)7月 - 第1回ペーロン大会を蛎浦湾で実施。
- 2000年(平成12年)11月 - 特別教室新校舎が完成。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 西海市の発足により、「西海市立崎戸小学校」(現校名)と改称。
- 2011年(平成23年)3月 - 運動場を大規模改修。
- 2012年(平成24年)4月 - 2・3年生を複式学級とする。
- 2022年(令和4年)3月31日 - 閉校[1]。西海市立大島東小学校・西海市立大島西小学校の2校と統合の上、「西海市立大崎小学校」が開校[1]。大崎小学校は大島東小学校の校地に設置される[1]。
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- さいかい交通「蛎の浦」(かきのうら)
- 最寄りの道路
- 最寄りの港
周辺
[編集]- 西海市役所崎戸総合支所(旧・崎戸町役場)
- 崎戸中央公民館
- 崎戸郵便局
脚注
[編集]- ^ a b c d 西海市教育委員会大崎地区審議会だより第1号 (PDF) - 西海市ウェブサイト
- ^ a b 読みは「おもだか」。当時の面高村。現在の西海市西海町面高郷。
- ^ a b 2013年(平成25年)4月に崎戸と大島の中学校2校が統合され、西海市立大崎中学校が開校。長崎県立大崎高等学校の校地に新校舎を併設し、連携型中高一貫教育を開始した。
- ^ 1948年(昭和23年)4月の学制改革で旧制の長崎県立佐世保商業学校と長崎県立佐世保工業学校がそれぞれ長崎県立佐世保商業高等学校・長崎県立佐世保工業高等学校となる。翌1949年(昭和24年)2月に両校は統合され、長崎県立佐世保商工業高等学校となる。しかし1951年(昭和26年)4月に長崎県立佐世保商業高等学校と長崎県立佐世保工業高等学校の2校に分離した。
参考資料
[編集]- 「崎戸町の歴史」(1978年(昭和53年)9月, 崎戸町教育委員会)
- 「西彼杵郡現勢一班」(1926年(昭和元年)12月31日発行, 出版:郡役所廃止記念会)- 国立国会図書館近代デジタルライブラリー p.355(コマ番号188)