西福寺古墳
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西福寺古墳 | |
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墳丘 | |
所属 | 馬絹・梶ヶ谷古墳群 |
所在地 |
神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷 (梶ヶ谷第3児童公園内) |
位置 | 北緯35度35分10.07秒 東経139度36分26.70秒 / 北緯35.5861306度 東経139.6074167度座標: 北緯35度35分10.07秒 東経139度36分26.70秒 / 北緯35.5861306度 東経139.6074167度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径35m 高さ5.5m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 埴輪 |
築造時期 | 5世紀後葉-6世紀初頭 |
史跡 | 神奈川県指定史跡「西福寺古墳」 |
地図 |
西福寺古墳(さいふくじこふん)は、神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷にある古墳。形状は円墳。馬絹・梶ヶ谷古墳群を構成する古墳の1つ。神奈川県指定史跡に指定されている。
概要
[編集]神奈川県北東部、矢上川左岸の丘陵台地上に築造された古墳である。1982年(昭和57年)に確認調査が実施されている[1]。
墳形は円形で、直径35メートル・高さ5.5メートルを測る[1]。墳丘外表には円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(水鳥形埴輪)が認められ[1]、白井坂埴輪窯跡(川崎市宮前区犬蔵)における製作とされる[2]。墳丘周囲には幅6.0-7.5メートル・深さ0.7-0.8メートルの周濠(空濠)が巡らされる[1]。埋葬施設は未調査のため明らかでない[1]。築造時期は古墳時代中期-後期の5世紀後葉-6世紀初頭頃と推定される[1]。
古墳域は1980年(昭和55年)に神奈川県指定史跡に指定された[1]。現在では梶ヶ谷第3児童公園内で保存されている。
遺跡歴
[編集]- 1964年(昭和39年)以降の梶ケ谷土地区画整理事業に際して保存措置[1]。
- 1970年(昭和45年)8月26日、川崎市指定史跡に指定[1]。
- 1980年(昭和55年)9月16日、神奈川県指定史跡に指定[1]。
- 1982-1983年(昭和57-58年)、保存整備事業。
- 1982年(昭和57年)8月、測量調査・確認調査(西福寺古墳発掘調査団)[1]。
文化財
[編集]神奈川県指定文化財
[編集]- 史跡
- 西福寺古墳 - 1980年(昭和55年)9月16日指定[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 西福寺古墳発掘調査団編 編『県史跡西福寺古墳 保存整備報告書』川崎市教育委員会、1989年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 西福寺古墳(文化財散歩)、西福寺古墳(指定文化財紹介) - 川崎市ホームページ