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覚尋 (華厳宗)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

覚尋(かくじん、生没年不明)は、室町時代華厳宗僧侶。祖父は関白九条満家。兄は関白九条政忠

生涯

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九条加々丸の次男として生まれる。宝徳4年(1452年)に東大寺の子院・東南院門跡珍覚の後継者として東南院に入室。出家して珍済と名乗る。門跡となった後、数多くの不可解な行動をし問題を起こしている[1]

東南院の領地で生じた問題や、院家内で坊官以下の人びとを掌握することにほとんど関与せず、東南院門跡としての職務を何一つ果たさず、多くを経覚に任せ、頼りきった[2]

寛正5年(1464年)に名を覚尋と改めて東大寺別当に就任している。経覚の死後、政務が滞ったか文明年間(1469年 - 1487年)には周りから錯乱呼ばわりされるほど東南院は大混乱に陥った[3]

そのため、文明6年(1474年)閏5月4日に覚尋の進退について東大寺が朝廷に訴え、ついに覚尋は東南院門跡を解任された。後に大和国古市の迎福寺に隠棲した[4]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 酒井紀美『経覚』p166
  2. ^ 酒井紀美『経覚』p167
  3. ^ 酒井紀美『経覚』p169
  4. ^ 酒井紀美『経覚』p265-p266

参考文献

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