覚尋 (華厳宗)
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覚尋(かくじん、生没年不明)は、室町時代の華厳宗の僧侶。祖父は関白九条満家。兄は関白九条政忠。
生涯
[編集]九条加々丸の次男として生まれる。宝徳4年(1452年)に東大寺の子院・東南院門跡の珍覚の後継者として東南院に入室。出家して珍済と名乗る。門跡となった後、数多くの不可解な行動をし問題を起こしている[1]。
東南院の領地で生じた問題や、院家内で坊官以下の人びとを掌握することにほとんど関与せず、東南院門跡としての職務を何一つ果たさず、多くを経覚に任せ、頼りきった[2]。
寛正5年(1464年)に名を覚尋と改めて東大寺別当に就任している。経覚の死後、政務が滞ったか文明年間(1469年 - 1487年)には周りから錯乱呼ばわりされるほど東南院は大混乱に陥った[3]。
そのため、文明6年(1474年)閏5月4日に覚尋の進退について東大寺が朝廷に訴え、ついに覚尋は東南院門跡を解任された。後に大和国古市の迎福寺に隠棲した[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 酒井紀美『経覚』〈人物叢書〉吉川弘文館、2019年。ISBN 978-4-642-05292-4