覚王山日泰寺
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覚王山日泰寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 愛知県名古屋市千種区法王町1-1 |
位置 | 北緯35度10分17.6秒 東経136度57分18.67秒 / 北緯35.171556度 東経136.9551861度座標: 北緯35度10分17.6秒 東経136度57分18.67秒 / 北緯35.171556度 東経136.9551861度 |
山号 | 覚王山 |
宗派 | 超宗派 |
本尊 | 釈迦金銅仏 |
創建年 | 明治37年(1904年) |
札所等 | 大名古屋十二支 恵当寺 寅年本尊札所 |
文化財 | 鳳凰台(名古屋市指定) |
公式サイト | 覚王山日泰寺 |
法人番号 | 4180005000783 |
覚王山日泰寺 (かくおうざん にったいじ) は、愛知県名古屋市千種区法王町にある超宗派の寺院である。タイ王国から寄贈された 真舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、創建された。「覚王」とは、釈迦の別名。また「日泰」とは、日本とタイ王国を表している。
どの宗派にも属していない日本で唯一の超宗派の寺院であり、各宗派(現在19宗派が参加)の管長が、三年交代で住職を務めている(ただし境内北側に設置されている僧堂は、曹洞宗が管轄している)。住職は宗派の違うお経を上げることもあるという。
なお真舎利は、本堂のある境内からやや離れた「奉安塔」の中に安置されている。
境内には真舎利を日本に寄贈したラーマ5世の像もあり、在日タイ大使は誕生日に参拝するのが習わしになっている。また在日タイ人もしばしば参拝に訪れるという。
毎月21日に、境内と約600メートルの参道に日用雑貨、生鮮食品、外食の屋台が100店ほど出店して、多くの人で賑わう。
起源と歴史
- 明治31年(1898年)仏教開祖釈迦(ゴータマ・シッダルータ)の遺骨、真舎利が発見される。インドにおいて、イギリス人ウイリアム・C・ペッペによって水晶製の舎利容器が発掘され、古代文字の解読の結果判明。
- 明治32年(1899年)遺骨真舎利が、英国からシャム国(現在のタイ王国)へ譲渡される。
- 明治33年(1900年)遺骨真舎利が、シャム国国王ラマ五世(ラーマ5世)から日本国民へ贈られた。
- 明治37年(1904年)真舎利と黄金の釈迦像を奉安するため、覚王山日暹寺(にっせんじ)として創建。
- 大正3年(1914年)伽藍を整備。
- 昭和24年(1949年)シャム国のタイ王国への改名に合わせて日泰寺に改名。
境内
文化財指定されている一部の建物を除き、本堂・普門閣・山門などほとんどの建物が鉄筋コンクリート造りである。境内の広さは、創建当時は約10万坪であったが、現在は約4万坪になっている。
- 本堂 - 昭和59年に落成。魚津常義設計、竹中工務店施行。内部中央には明治33年に真舎利と共にタイ政府より贈られた釈迦金銅仏が本尊として安置されている。本尊両脇に飾られた絵画は高山辰雄の作品。
- 普門閣 - 本堂西側にある巨大な祭事場(多目的会館)。
- 五重塔 - 平成9年建立。高さ30メートル。
- 山門 - 昭和61年建立。左右に円鍔勝三作の阿難・迦葉像が納められている。
- 鳳凰台 - 大書院。名古屋市指定文化財[1]。非公開。
- 八相苑 - 鳳凰台の北側。下記の草結庵の移築に伴って造庭された近代的な枯池式日本庭園。非公開。
- 草結庵 - 名古屋市中区の長栄寺から昭和37年に移築された茶室。江戸中期の表千家の茶人、高田太郎庵好みと伝えられている。三畳台目、相伴席付の席で、構成は藪内家の燕庵とほぼ同一である。愛知県指定文化財[2]。非公開。
- 同夢軒 - 上記の草結庵の移築の際、草結庵の副席として建てられた茶室。五畳台目。非公開。
- 僧堂 - 現在、曹洞宗の専門修行道場となっている。
- 奉安塔 - 真舎利を安置するため、大正7年に建てられた。伊東忠太によりガンダーラ様式を模して設計された。東側には広大な墓地がある。愛知県指定文化財[3]。
- 奉安塔礼拝殿[4]・通天門[5]・土塀[6] - 登録有形文化財[7]。
ギャラリー
所在地
- 愛知県名古屋市千種区法王町1-1