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観音寺 (筑西市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
観音寺
観音寺本堂
観音寺本堂
所在地 茨城県筑西市中舘522-1
山号 施無畏山
院号 延命院
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 6世紀後期?
開山 法輪独守?
中興年 大永5年(1525年
別称 中館観音
文化財 木造観世音菩薩立像(重要文化財)他
公式サイト 天台宗 施無畏山延命院 觀音寺|茨城県筑西市 延命観音 中館観音
法人番号 4050005009838 ウィキデータを編集
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観音寺(かんのんじ)は、茨城県筑西市にある天台宗寺院

歴史

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6世紀後期、法輪独守によって開山されたといわれている。法輪独守は中国からの渡来僧と伝えられており、当地に流行っていた疫病を退散させたという[1][2]

1189年文治5年)の奥州合戦の際、鎌倉方に従軍した当地の領主・中村朝宗(中村宗村の説もあり)は、当寺で戦勝を祈願して成就した。そして恩賞として陸奥国伊達郡の所領が与えられた。これ以降、朝宗と宗村はそれぞれ「伊達朝宗」「伊達宗村」を名乗ることになり、伊達氏の始祖となった[1]

その後も伊達氏の庇護を受け、南北朝時代の第7代当主伊達行朝は各伽藍を寄進している。江戸時代の第20代当主(仙台藩第4代藩主)の伊達綱村は、仙台藩の飛地だった常陸国河内郡龍ヶ崎領(現・茨城県龍ケ崎市)より50寺領として寄進した[1]

当寺の境内は、かつての伊佐城があったところで、中村氏や伊達氏の同族の伊佐氏の居城であった。

文化財

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  • 木造観世音菩薩立像(重要文化財 大正11年4月13日指定)[3]
  • 絹本著色八景の図(茨城県指定文化財 昭和37年10月24日指定)[4]
  • 螺鈿硯箱(茨城県指定文化財 昭和37年10月24日指定)[5]
  • 伊佐城阯(茨城県指定史跡 昭和10年11月26日指定)[6]
  • 観音寺本堂(筑西市指定文化財 昭和51年6月28日指定)[7]
  • 大機院殿筆画(筑西市指定文化財 昭和51年6月28日指定)[8]
  • 木造阿弥陀如来坐像(筑西市指定文化財 昭和51年6月28日指定)[9]
  • 伊達左近中将吉村公筆軸一対(筑西市指定文化財 昭和51年6月28日指定)[10]
  • 吉村公筆和歌(筑西市指定文化財 昭和51年6月28日指定)[11]
  • 伊達行朝廟(筑西市指定史跡 昭和51年6月28日指定)[12]
  • 下館藩主石川総管の墓(筑西市指定史跡 昭和52年3月24日指定)[13]
  • 観音寺大欅(筑西市指定天然記念物 昭和52年3月24日指定)[14]

交通アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 市指定文化財としては「観音寺本堂」

出典

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  1. ^ a b c 寺院の歴史観音寺
  2. ^ 茨城県地域史研究会 編『茨城県の歴史散歩(歴史散歩8)』山川出版社、2006年、130p
  3. ^ 木造観世音菩薩立像文化庁
  4. ^ 絹本著色八景の図茨城県
  5. ^ 螺鈿硯箱茨城県
  6. ^ 伊佐城阯茨城県
  7. ^ 観音寺本堂筑西市
  8. ^ 大機院殿筆画筑西市
  9. ^ 木造阿弥陀如来坐像筑西市
  10. ^ 伊達左近中将吉村公筆軸一対筑西市
  11. ^ 吉村公筆和歌筑西市
  12. ^ 伊達行朝廟筑西市
  13. ^ 下館藩主石川総管の墓筑西市
  14. ^ 観音寺大欅筑西市

参考文献

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  • 茨城県地域史研究会 編『茨城県の歴史散歩(歴史散歩8)』山川出版社、2006年

外部リンク

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