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誉謝女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

誉謝女王(よさじょおう/よさのおおきみ、生年不明 - 慶雲3年6月24日(706年8月8日))は、飛鳥時代皇族。系譜は不明。名は与射とも記される[1]

記録

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万葉集』巻第一には、大宝2年(702年)10月から約ひと月にわたる、持統太上天皇行幸の旅の最初に三河国に立ち寄った際に[2]、京に留まって詠んだとされる1首が掲載されている[3]。歌の内容からすると、女王は夫に先立たれたことが推測される[4]。なお、『続日本紀』によると、持統太上天皇はこの行幸の旅を終えた後、ほどなくして崩御した[5]

『続日本紀』によると、女王もそれからほどなくした慶雲3年(706年)、従四位下で薨去した[1]

脚注

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  1. ^ a b 『続日本紀』慶雲3年6月24日条
  2. ^ 『続日本紀』大宝2年10月10日条
  3. ^ 『万葉集』59番
  4. ^ 『日本女性人名辞典』
  5. ^ 『続日本紀』大宝2年12月22日条

参考文献

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