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諏訪坂古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標: 北緯35度31分02.7秒 東経139度40分11.1秒 / 北緯35.517417度 東経139.669750度 / 35.517417; 139.669750

諏訪坂古墳の位置(神奈川県内)
諏訪坂古墳
諏訪坂古墳
位置図

諏訪坂古墳(すわさかこふん)は、かつて神奈川県横浜市鶴見区諏訪坂17付近に所在した古墳時代古墳。墳形は前方後円墳であったと伝えられる。

立地と概要

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鶴見区西部に広がる下末吉台地(標高40-50メートル)の、鶴見川南岸に面した台地北端部(地域名では鶴見区駒岡梶山・三ツ池公園・上末吉下末吉諏訪坂にかけて)には、かつて複数の古墳群横穴墓群が分布していた[1][2][3]

同区駒岡に集中域をもつ駒岡古墳群のほか[4]、駒岡古墳群のあった丘陵から谷戸を1つ挟んだ東側の丘陵には梶山古墳群が分布し、太田道灌伝承で知られる兜塚古墳が残存する。また、兜塚古墳より南の神奈川県立三ツ池公園内には、三ツ池古墳が存在する[2][5][3][注釈 1]

諏訪坂古墳は、兜塚古墳や三ツ池古墳より南南東の、鶴見川下流の台地上にあった。前方後円墳とされるが、古い時期に削平されてしまい詳しい事は解っていない。削平される際、石棺の石蓋が発見され、古墳跡地の近くに石塔類とともに安置された。しかし、その後の開発でさらに移設されることとなり、現在は鶴見区諏訪坂18番地の諏訪坂公園内に安置されている[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 鶴見川下流域一帯は、駒岡古墳群以外にも古墳群横穴墓群が散在的に分布しているため、横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センターは「駒岡周辺の古墳群」という、より広い範囲の捉え方でこれらを解説している[2]

出典

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  1. ^ 横浜市歴史博物館 2001, p. 40.
  2. ^ a b c d 埋蔵文化財センター 2014, pp. 1–4.
  3. ^ a b 鶴見区総務部区政推進課. “第24回:眠りを覚ました古代人”. 横浜市. 2023年6月7日閲覧。
  4. ^ 松崎 2007, p. 105.
  5. ^ 横浜市教育委員会事務局生涯学習部文化財課 2004, p. 7.

参考文献

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  • 横浜市歴史博物館「駒岡堂の前古墳 他」『横浜の古墳と副葬品』横浜市ふるさと歴史財団、2001年1月27日、40頁。 NCID BA52381705 
  • 横浜市教育委員会事務局生涯学習部文化財課「鶴見区」『横浜市文化財地図』横浜市教育委員会、2004年3月31日、7頁。 NCID BB23262051 
  • 松崎, 元樹 著「多摩川流域および周辺における後・終末期古墳群の特性と地域構造」、佐々木憲一 編『関東の後期古墳群』六一書房〈考古学リーダー12〉、2007年12月25日、103-122頁。 
  • 埋蔵文化財センター駒岡周辺の古墳群」『埋文よこはま』第29号、公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター、2014年3月10日、1-4頁。 

外部リンク

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画像外部リンク
横浜市行政地図情報提供システム「文化財ハマSite」