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譚の滅亡(たんのめつぼう)は、紀元前684年に発生した、斉が譚を滅ぼした戦い。
斉の公子小白が亡命したときに、譚を通過したが譚の国君は厚く接待しなかった。後に小白が即位すると(桓公)、各国の諸侯は桓公に祝賀の使者を送ったが、譚は送らなかった。結果、桓公二年(紀元前684年)の冬、斉は出兵し譚を滅ぼし、譚の国君は同盟国の莒(中国語版)に亡命した[1]。
- ^ 『春秋左氏伝』荘公十年:斉侯(斉桓公)之出也,過譚,譚不礼焉。及其入也,諸侯皆賀,譚又不至。冬,斉師滅譚,譚無礼也。譚子奔莒,同盟故也。