谷井翠山
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谷井 翠山 | |
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生誕 | 明治11年(1878年)4月20日 |
死没 |
不明 不明 |
国籍 | 日本 |
配偶者 | 谷井せい |
影響を受けた 芸術家 | 筑紫翠雲 川端玉章 |
谷井 翠山(やつい すいざん、1878年4月20日 - 没年不明)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本画家。本名は藤楠、旧姓は津本。資産家であり、公募展への出品は少ない。同じ雅号の三木翠山と混同される事がある。
来歴
[編集]1878年(明治11年)4月に和歌山県日高郡御坊村(現和歌山県御坊市)の蝋燭商の大黒屋の津本家に生まれた。16才から文人画家の筑紫翠雲に学び、20才で上京し、川端玉章の画塾に入った[1]。
後に和歌山市雑賀村関戸(現和歌山市関戸)の大地主の谷井家に婿養子として入った。その頃の当主の谷井勘蔵は翠山の誕生翌年の明治12年には地租221円持、貴族院多額納税者議員互選人だった[2][3]。
主な作品
[編集]- 1901年(明治34年) 「水墨山水」 『美術画報』 十五編巻八
- 1929年(昭和4年) 「雨後の香落渓」 早苗会展覧会図録 第30回
- 1934年(昭和9年) 「山水図襖」 天性寺 本堂襖(四面、絵画寸法巾142.5cm高205.2cm)
- 制作年不明 「蓬莱山水之図」 個人蔵
- 制作年不明 題不明(蓮と白鷺) 個人蔵
- 制作年不明 題不明 個人蔵 和歌山県立近代美術館寄託
- 制作年不明 「芭蕉図襖」 道成寺 庫裏襖(四面)
- 制作年不明 「山水図襖」 道成寺 庫裏襖(四面)