谷崎松子
谷崎 松子(たにざき まつこ、1903年9月24日 - 1991年2月1日)は、谷崎潤一郎の3人目で最後の妻、随筆家。『細雪』の幸子のモデル。
生涯
[編集]藤永田造船所の社主・永田三十郎のはとこに当たる同社専務の森田安松(1864-1928)の四人姉妹の次女として1903年、大阪府大阪市大正区(1903年当時は大阪市西区新炭屋町)に生まれる。母親のシエ(1873-1917)は松子が14歳のときに肺病で死亡。清水谷女学校を中退し、20歳で根津清太郎と結婚[1]。清太郎は根津商店という大阪の綿布問屋の御曹司であり、彼とのあいだに一男一女をもうけたものの[1]、夫は末の妹と駆け落ちするなど素行が悪かった。1927年、関西移住中の谷崎潤一郎と知り合う。芥川龍之介のファンであった松子は、夫・清太郎の行きつけであるお茶屋の女将に引き合わせを頼んでいたことから来阪中の芥川と、それに同行した谷崎と面会したのをきっかけに、谷崎に根津家の寮や別荘を提供するなど交流を深めて行った[2]。
1930年谷崎は最初の妻を佐藤春夫に譲り古川丁未子と再婚するが[3]、松子との関係が深くなり、丁未子と別居[1]。1932年に根津商店が倒産し、神戸市魚崎町横屋字川井に転居すると、谷崎もその隣に転居[2]。1934年、松子と清太郎離婚。松子と谷崎は芦屋で同居するようになる。当時、松子は谷崎の崇拝の対象であり、『盲目物語』『春琴抄』その他の女人崇拝の作品は松子を念頭に置いて書かれ、谷崎は「松に倚る」という意味で倚松庵を名乗った。
松子が妊娠し、谷崎が、芸術的な雰囲気を壊したくないと言って堕胎させたことは、谷崎が晩年の『雪後庵夜話』に書き、松子も書いているため広く信じられているが、戦時中の谷崎の随筆『初昔』では、健康上の問題から三人の医師に中絶を勧められたことが書いてあり、『雪後庵夜話』に書いてあることは虚構であると小谷野敦『谷崎潤一郎伝』は指摘している。戦後高血圧に悩んだ谷崎を支えたが、1965年初の随筆を発表した後谷崎が死亡し、以後随筆家として活動した。
没後
[編集]2014年に、谷崎の遺族が保管していた松子やその妹らと谷崎との未公開の手紙288通(1927-1963年)が公表された[4]。翌2015年1月、『谷崎潤一郎の恋文-松子・重子姉妹との書簡集』(千葉俊二編、中央公論新社)として出版された[5]。書簡の中で谷崎は、松子の奉公人のようでいたいと「潤一郎」の代わりに「順市」の署名を使い、「御気に召しますまで御いぢめ遊ばして下さいまし」としたため、「生命身体家族兄弟収入等」の全てを「御寮人様(松子のこと)」の所有にする、という誓約書を書き、実際送金を思わせる文面もあった[6]。
家族
[編集]『細雪』は、1937年から1941年まで森田家四姉妹(朝子、松子、重子、信子)の身の上に起きたことをほぼそのまま描いたもので、森田四姉妹の長女・朝子(1899-1981)は三菱商事勤務の森田詮三(旧姓・卜部)を婿に取り結婚。三女重子(1907-1974)はたびたびの見合いのあと徳川家の一族である渡辺明(1898-1949, 松平康民の三男で渡辺家の養子)と結婚。四女・信子(1910-1997)は1929年に松子と婚姻中であった根津清太郎と駆け落ち後、1941年にプロゴルファーの嶋川信一(1909-1982)と結婚。
子は、根津清太郎との間に長男・清治(1924年生)と長女・恵美子(1929年生)。離婚後、恵美子は谷崎の養女となり[1]、戦後観世栄夫と結婚して[1]、松子の死後谷崎の著作権継承者となった。また長男・清治は渡辺明・重子夫妻(松子の妹夫婦)の養子となり[1]、橋本関雪の孫娘・千萬子(『瘋癲老人日記』に登場する颯子のモデル)と結婚した[1]。随筆家の渡辺たをりは渡辺清治・千萬子夫妻の娘で[1]、演劇評論家の高萩宏はたをりの夫である[1]。千萬子の母・妙子は関雪の妾腹の娘で[1][7]、関雪と正妻・よねとの間に生まれた長男・節哉の異母妹にあたる[7]。内務官僚・池松時和は節哉の義父で[8][9]、歴史学者・末川清は節哉の娘婿にあたる[10]。白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長を務める橋本眞次は節哉の長男・歸一の子で[11][12]、千萬子の従弟の子にあたる。
前夫の根津清太郎(1900-1956)は大阪の繊維問屋・貿易商「根津商店」(大阪市東区本町三)の一人息子。養子だった父親は離縁で家を離れ、母親も早くに死去したため、天王寺商業学校卒業後、家業を継ぐ。その当時は大阪の靭公園のほとんどを所有していたほどの豪商で[13]、複数の別荘のほかに、稲荷山(東大阪市善根寺町)に遊園地も持っていたが[14]、1932年に倒産し[13]、地所のほとんどを伊藤忠兵衛 (二代)に売却した。1934年に松子と離婚後、小樽で造船業を始めたが失敗し、喰いつめたのち、1954年に日劇ミュージックホールの監督・丸尾長顕に頼った。丸尾は昔、美術界のパトロンだった清太郎から贈られた岸田劉生の絵画『麗子像』を売って子供の手術をしたことがあったため、恩返しから自分の下働きとして雇い、ヌードダンサーの世話などをさせた。見かねた小林富佐雄(小林一三長男)から日比谷の宝塚歌劇団東京宿舎の住み込み舎監の職を得、再婚した妻と新生活を始めたが、ほどなくして脳溢血で死去した[15][16]。
系譜
[編集]池松時和 | 田鶴子 | 瑠璃子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
よね | 末川清 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
橋本節哉 | 末川研 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
橋本海関 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
橋本関雪 | 橋本正弥 | 千穂子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
フジ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
橋本申一 | 橋本歸一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
橋本舜吉 | 橋本眞次 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
かづ子 | 妙 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高折隆一 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
千萬子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
妙子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
たをり | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
松平康民 | 渡邊明 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渡邊清治 | 高萩宏 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
重子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
森田安松 | 根津清太郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
観世榮夫 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
谷崎松子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
恵美子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
谷崎倉五郎 | 谷崎潤一郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
谷崎久右衛門 | 関 | 谷崎精二 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
著書
[編集]編著
[編集]- 『谷崎潤一郎の書』 五月書房 1979年
- 『十八公子家集』 五月書房 1979年
参考文献
[編集]- 『昭和人名辞典 第3巻 近畿・中国・四国・九州編』 日本図書センター 1987年 ISBN 4-8205-0695-1
- 交詢社 監修、交詢社出版局 編集 『日本紳士録 第80版 2』 ぎょうせい 2007年 ISBN 978-4-324-07879-2
- 小谷野敦 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』 幻冬舎〈幻冬舎新書〉 2007年 ISBN 978-4-3449-8055-6
演じた人物
[編集]脚注・出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 小谷野 『日本の有名一族』 103-104頁
- ^ a b 谷崎潤一郎の西宮・芦屋・神戸を歩く東京紅團、2002年1月19日
- ^ 小谷野 『日本の有名一族』 102-104頁
- ^ 谷崎潤一郎の手紙288通 未来の妻と激しい恋模様朝日新聞、2014年11月26日
- ^ 谷崎 愛の手紙(1)関西の優美、創作の弦震わす読売新聞、2015年01月19日
- ^ 谷崎 愛の手紙(2)「奉公人」のようで実は主導読売新聞、2015年01月20日
- ^ a b 関雪の◯◯が - 白沙村荘公式ブログ内のページ
- ^ 『昭和人名辞典 第3巻 近畿・中国・四国・九州編』、京都 76頁。
- ^ 池松時和という人物 - 白沙村荘公式ブログ内のページ
- ^ 『日本紳士録 第80版 2』、す 245頁。
- ^ 夏季展示「江戸硝子かんざしと関雪の草稿」 - 白沙村荘公式ブログ内のページ
- ^ 佛大通信Vol.556 特集 京都まちあるき 大地に描かれた壮大な理想郷、白沙村荘を訪ねて哲学の道へ。2 - 佛教大学通信教育課程公式サイト内のページ
- ^ a b レファレンス事例詳細10-RE-200811-01レファレンス協同データベース、国立国会図書館、2008/11/17
- ^ 谷崎潤一郎の大阪を歩く (東大阪編) 東京紅團、2004年2月14日
- ^ 丸尾長顕『回想 小林一三』、山猫書房 (1981/09)
- ^ 三田純市『道頓堀物語』「蕩児余聞」光風社書店, 1978