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谷衛将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
谷衛将
時代 江戸時代中期
生誕 享保13年(1728年
死没 宝暦14年1月21日1764年2月22日
改名 勝千代(幼名)、衛将
別名 大学(通称
戒名 泰雲元明本覚院
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
丹波山家藩
氏族 谷氏
父母 谷衛衝高木正陳
兄弟 衛将衛秀遠山景煕青木一都正室、
内藤信智正室、谷衛明室、小倉夏季室、
谷衛明室
岩之助[1]衛秀
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谷 衛将(たに もりまさ)は、丹波国山家藩の第6代藩主。

生涯

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第5代藩主・谷衛衝の長男。母は高木正陳の娘。幼名は勝千代。

宝暦12年(1762年)4月8日、父の隠居により跡を継ぐ。宝暦14年(1764年)正月21日に37歳で死去し、跡を弟の衛秀が継いだ。

脚注

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  1. ^ 明和2年(1766年)8月6日没