谷衛憑
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 延宝2年(1674年) |
死没 | 宝暦4年8月4日(1754年9月20日) |
改名 | 靏千代 |
別名 | 照憑(てるより)、広頼、通称:右京、大学 |
戒名 | 鶴仙至城偃蓋院 |
官位 | 従五位下・播磨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉、家宣、家継、吉宗 |
藩 | 丹波山家藩主 |
氏族 | 谷氏 |
父母 | 谷衛広 |
兄弟 | 衛純、衛憑、市(筑後国久留米藩主有馬則維正室)、酒井忠貫正室 |
妻 | 大田原典清娘 |
子 | 衛衝、美代 |
生涯
[編集]第3代藩主・谷衛広の次男。ただし兄の一学(衛純)は妾腹であるため、嫡男となる。
元禄2年(1689年)、父・衛広の死により家督を継いだ。享保2年(1717年)に隠居し長男の衛衝に家督を譲る。宝暦4年(1754年)、81歳という長寿を保って死去した。