コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

谷邦夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷 邦夫
たに くにお
生年月日 (1904-05-12) 1904年5月12日
出生地 栃木県那須郡湯津上村(現大田原市
没年月日 (1991-11-23) 1991年11月23日(87歳没)
死没地 栃木県那須郡湯津上村
出身校 宇都宮商業学校卒業
所属政党 無所属
称号 正六位
勲五等双光旭日章

当選回数 1回
在任期間 1975年4月30日[1] - 1979年4月29日[1]
テンプレートを表示

谷 邦夫(たに くにお、1904年5月12日[2] - 1991年11月23日)は、日本政治家歌人。 本名は谷 国夫(たに くにお)。

経歴

[編集]

栃木県那須郡湯津上村(現大田原市)佐良土に生まれる[3]1920年大正9年)3月、宇都宮商業学校を卒業[2]。家業の商店を継ぐ傍ら、歌誌『創作』に入会し若山牧水に師事した[3]。後に吉植庄亮の『橄欖』に入会する[3]

1942年昭和17年)4月、湯津上村議会議員に当選した[4]。以後5回当選し、1951年(昭和26年)4月から村議会副議長を4年間、1965年(昭和40年)4月から村議会議長を2年間務めた[4]。途中、1957年(昭和32年)12月には合併をめぐる対立から村議会議員を辞職している(後述)。1962年(昭和37年)、歌誌『当道』を創刊[3]1967年(昭和42年)4月、村議会議員選挙で落選した[5]

1969年(昭和44年)から栃木県歌人クラブの委員長を10年間務めた[3]1974年(昭和49年)、栃木県の文化功労者となる[3]1975年(昭和50年)4月の湯津上村長選挙で無投票で初当選した[6]1976年(昭和51年)には『当道』を母体として『下野歌人』を創刊している[3]1979年(昭和54年)4月の村長選では前村長の江崎博夫の支援を受けた花塚直茂に敗れた[7]

1980年(昭和55年)、勲五等双光旭日章を受章した[4]1987年(昭和62年)、『野の風韻』で第14回日本歌人クラブ賞を受賞した。盲人短歌を研究し、アンソロジーを編纂した。宇都宮北高等学校校歌の作詞も手がけた[8]

1991年平成3年)11月23日、老衰により湯津上村佐良土の自宅で死去した[9]。87歳没。没後、正六位を贈られた[10]

昭和の大合併

[編集]

昭和の大合併の時期に湯津上村は合併せず単独で存続したが、当初は大田原市との全村合併を主張するグループと、大田原市、小川町(現那珂川町)、黒羽町(現大田原市)への三分村合併を主張するグループが激しく対立していた。谷は後者に属していた。

全村合併派は谷ら分村合併派の村議会議員5名の解職請求を、それに対抗して分村合併派は村議会の解散請求を行った[11]。5議員の解職と村議会の解散の賛否を問う6件の住民投票は1958年(昭和33年)1月18日に行われることになった[12]

1957年(昭和32年)12月14日、内閣総理大臣岸信介名で三分村勧告が行われる[13]。同年12月17日、村議会は先の内閣総理大臣勧告を拒否する議案を全会一致で可決したが、谷ら分村合併派の議員5名は採決前に議員辞職願を提出して退場した[14]。5議員の辞職により議員の解職の賛否を問う住民投票は中止となった[15]

1958年(昭和33年)1月18日に行われた村議会解散の賛否を問う住民投票は、反対多数で否決された[16]

主な著書

[編集]
  • 『青き起伏 歌集』短歌研究社 1965 橄欖叢書
  • 『金婚祭 歌集』短歌研究社 1973 橄欖叢書
  • 『光なき世界の光 盲人短歌の世界』短歌新聞社 1973 当道叢書
  • 『歌集 村長室周辺』短歌新聞社 1977
  • 『老春 谷邦夫歌集』短歌新聞社 1981
  • 『評伝若山牧水 生涯と作品』短歌新聞社 1985
  • 『野の風韻 谷邦夫歌集』短歌新聞社 1986 下野歌人叢書

編纂

[編集]
  • 『現代日本盲人歌集』当道短歌会 1966
  • 『続・現代日本盲人歌集』当道短歌会 1967

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『栃木県町村会七十年史』,521頁
  2. ^ a b 『栃木県紳士録 昭和58年度版』,564頁
  3. ^ a b c d e f g 『栃木県歴史人物事典』,389頁
  4. ^ a b c 『栃木県紳士録 昭和58年度版』,565頁
  5. ^ “町村議選開票結果”. 下野新聞: p. 4. (1967年4月29日) 
  6. ^ “4首長が無投票当選 町村長・議員の立候補締め切り 南河内は野沢氏再選、上三川稲葉、上河内小林、湯津上谷氏”. 下野新聞: p. 1. (1975年4月22日) 
  7. ^ “湯津上 現職に競り勝つ”. 下野新聞: p. 1. (1979年4月23日) 
  8. ^ 校歌”. 栃木県立宇都宮北高等学校. 2015年11月24日閲覧。
  9. ^ “県文化功労受章、元湯津上村長、谷邦夫氏が死去”. 下野新聞: p. 1. (1991年11月24日) 
  10. ^ “叙位叙勲”. 下野新聞: p. 9. (1991年12月14日) 
  11. ^ 『湯津上村誌』,745-746頁
  12. ^ 『湯津上村誌』,746頁
  13. ^ 『湯津上村誌』,747頁
  14. ^ 『湯津上村誌』,749-750頁
  15. ^ 『湯津上村誌』,750頁
  16. ^ 『湯津上村誌』,753頁

参考文献

[編集]
  • 『湯津上村誌』 湯津上村、1979年3月25日。
  • 『栃木県紳士録 昭和58年度版』 人事管理研究会、1983年12月。
  • 『栃木県町村会七十年史』 栃木県町村会、1991年6月18日。
  • 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社 、1995年7月27日。

外部リンク

[編集]
先代
江崎博夫
湯津上村長
第15代:1975年 - 1979年
次代
花塚直茂