コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

谷関

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷関
谷關
谷関「東西横貫公路 谷関風景特定区」の掲示(2010年)
谷関「東西横貫公路 谷関風景特定区」の掲示(2010年)
谷関の位置(台湾内)
谷関
谷関
中華民国台湾)内の位置
座標:北緯24度12分10秒 東経121度00分14秒 / 北緯24.20278度 東経121.00389度 / 24.20278; 121.00389
中華民国の旗 中華民国台湾
直轄市 台中市
和平区
村里 博愛里
標高
約740[1][2]−800[3] m
等時帯 UTC+8 (台湾時間〈TST〉)

谷関(こくかん、: 谷關: Kukuan, Guguan〈クークアン[4]、グーグアン〉)は、台湾台中市和平区にある観光地であり、中部横貫公路省道台8線)の東勢区の起点より約 35キロメートル (22 mi) (33.8km[5]) の距離に位置する[6]。「谷関」の地名は、山に囲まれた関所のような地形から名付けられた[7]大甲渓温泉の湧出により開発され、さらに中部横貫公路の開通により観光事業が急速に発展した[8]。しかし、921大地震台風7号(ミンドゥル)の災害(72水災)により大甲渓一帯は大きく変貌した。温泉観光産業は多大な損害を受け[9]、湧泉量も減少し[10]、中部横貫公路も崩落によって上谷関より先が寸断されたが、その後、回復が図られている[11]

歴史

[編集]

谷関は、もともとタイヤル族: 泰雅族)の居住地であり[12]日本統治時代(1895-1945年)の1907年明治40年)[13]、地元の原住民によって温泉が発見され、谷関温泉は日本人により明治温泉と呼ばれた[14]。しかし当初、路線の建設が進められていたが、あまりに不便なことから開発されなかった。1917年大正6年)ごろに初めて警備隊とその家族のための浴場が整備された後[15]1927年昭和2年)に公衆浴場が建設され[16]1928年昭和3年)に明治温泉公共浴場(温泉場に設置された普通旅館[17])が落成した[15]。谷関は、温泉の呼称から「明治」と名付けられ、標高により上明治(上谷関)、下明治(下谷関)に分けられた。

1937年(昭和12年)には、日本人の山田金治により、谷関で先史時代石器が発見された。その後、1955年民国44年)より調査研究が進められ、1995年(民国84年)には、上谷関からも谷関類型の石器が発見された[18]。研究により大甲渓流域の営埔文化中国語版類型の1つとして谷関文化が認められ、初期のPinijan類型と後期の谷関類型に分類されている[19][20]

谷関温泉文化館(谷関ビジターセンター[21])2005年開設[22]

戦後中国語版国民政府になると、1952年(民国41年)[23]、大甲渓の上谷関に[13]天輪ダム中国語版が完成した。そして1956年(民国45年)には、台湾の東と西を結ぶ中部横貫公路の建設が開始され、同年7月7日、起工式が谷関と太魯閣双方でともに行われ[24]、退役軍人らの尽力により台湾初の横貫公路は、1960年5月9日に竣工した[25]。谷関郵局1958年(民国47年)のうちに設置された[26]。開通後、谷関に多くの観光客が訪れて観光産業が発展し[27]1981年(民国70年)[28]12月には、台中県政府(現・台中市政府中国語版)より[29]、谷関は観光地的機能を兼ね備える風景特定区に指定された[16]。一方、1986年(民国75年)10月、谷関観光バス転落事故中国語版が大型トラックとの衝突により発生し、42人が死亡する台湾バス事故最大の惨事となった[30][31]

災害・復旧

[編集]
上谷関(省道台8線37.5km[5])の通行規制地点(2010年)

1999年(民国88年)9月21日、921大地震の発生により、省道台8線沿線は多くが破壊され[16]、死者・負傷者のほか、谷関には観光客1万人余りが孤立し、救助作業が進められた[32]。その後、2000年(民国89年)1月18日に一時復旧したが、交通部公路総局の谷関工務課(: 谷關工務段)の管轄する起点から 112キロメートル (70 mi) の区間のうち、地質的に脆弱な上谷関 35キロメートル (22 mi) の地点より徳基 62キロメートル (39 mi) までを閉鎖して修復された。しかし、2004年(民国93年)7月15日の開通を前に[6]、同年7月2日、台風7号: 蒲公英、ミンドゥル)により再び崩壊し[33]、この水害72水災)により、谷関の観光産業はさらに打撃を受けた[9][34]。大甲渓の土砂の堆積により[35]、同年8月には台風17号: 艾利、アイレー)の影響に伴う退避を余儀なくされ[36][37]、その後も2005年(民国94年)7月には、台風5号: 海棠、ハイタン)の豪雨により谷関の交通が遮断され[38]2008年(民国97年)9月にも台風13号: 辛樂克、シンラコウ)によって幹線道路に架かる篤銘橋が破壊された[39]

2010年に移設された篤銘橋

2009年(民国98年)1月より損壊した篤銘橋の移設工事が開始され、翌2010年(民国99年)7月、約 150メートル (490 ft) 上流に新たな篤銘橋が開通した[40]。また、2011年(民国100年)には、梨山への往来を求める住民の嘆願により、規制のなか閉鎖区間の交通が認められるようになった[41]。一般通行は禁止であるものの、2018年(民国107年)11月には、迂回路(台8臨37線)による正規バスの運行が開始された[42]。翌2019年(民国108年)には、日本の星野リゾートが谷関温泉に進出した。

地理

[編集]

谷関は、台中市和平区博愛里に位置し、台中の東約 60キロメートル (37 mi) (60.1km[43])、梨山の西約 50キロメートル (31 mi) (47.7km[44]) の中部横貫公路省道台8線)沿線にあり、台中市の観光の要地として谷関風景特定区に指定され、地震や水災による被害を受けながらも発展している[45]

谷関の標高は、およそ 740メートル (2,430 ft)[1]から[2]800メートル (2,600 ft) で[3]、谷関大橋の水位は 702.4メートル (2,304 ft)[46]、上谷関の標高は 1,000メートル (3,300 ft) におよぶ[47]。谷関の名産の1つに標高 800メートル (2,600 ft) 以上に生長する(甘柿)が知られる[48]

谷関の年平均気温は摂氏18.5度と穏やかで涼しく、年間降水量は谷関の西側がおよそ 2,000ミリメートル (79 in) から2,500ミリメートル (98 in)、東側が 2,500ミリメートル (98 in) から 3,000ミリメートル (120 in) とされ、年間降水日数は約100日で、降雨は2-8月にかけて多く、とりわけ3-6月が多くなる[49]

谷関は雪山山脈に位置し、周囲は八仙山(標高2366m)を筆頭に谷関七雄中国語版[13][50]あるいは八雄ともされる台湾の中級山中国語版[51]に囲まれるとともに[52]、鞍馬山(Anma Shan[53]〈アンマーサン[54]〉、標高2666m)南部を源流とする鞍馬渓が、天輪ダム中国語版上流に流入し、船形山(船型山、標高2274m)および稍来山中国語版(標高2307m)東南部からの稍来渓が、同じく大甲渓の谷関の水域に流れ込む[49]。また、八仙山域からの佳保渓が、十文渓とともに谷関に注いでいる[55]

谷関の周辺には、古第三紀始新世から漸新世にあたる白冷層・佳陽層・達見砂岩層が分布する。白冷層は厚い石英砂岩正珪岩)と頁岩の互層で、佳陽層は厚い粘板岩と少量の細粒砂岩シルト岩泥岩)からなり、達見砂岩層は厚い石英砂岩・粘板岩・頁岩の互層により構成される[56]谷関温泉には、谷関断層が北東 - 南西方向に走り、主に断層の西側は漸新世の眉渓砂岩(白冷層[57])で、東側は中新世の廬山層[58]変成泥岩〈半粘板岩〉)となり、温泉は主に断層破砕帯および砂岩・粘板岩層より湧出する[59]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 劉 (2008), pp. 20 47
  2. ^ a b 谷關TT”. Strava. 2023年8月19日閲覧。
  3. ^ a b 谷関風景特区”. Taiwan. 交通部観光局 (2019年). 2023年8月19日閲覧。
  4. ^ 日本交通公社 (1989)、261・408頁
  5. ^ a b 省道公路里程表: 省道台8線 東勢 - 新城 里程表”. 交通部公路總局全球資訊網. 公路資訊. 交通部公路總局. 2011年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月19日閲覧。
  6. ^ a b 吳琍君 (2019年9月20日). “【裂變・重生・九二一】再見中橫 密碼2025”. 民傳媒. 中央廣播電台. https://www.peoplemedia.tw/news/5d462475-3021-4800-8649-48a44616c0bc 2023年8月19日閲覧。 
  7. ^ 臺中市和平區博愛里谷關社區”. 全民防汛資訊網. 經濟部水利署 (2021年6月16日). 2023年8月19日閲覧。
  8. ^ 莊 (2011), p. 68
  9. ^ a b “水患重創谷關 旅遊業者評估災情慘重”. TVBS新聞網 (TVBS). (2004年7月10日). https://news.tvbs.com.tw/life/485638 2023年8月19日閲覧。 
  10. ^ 莊 (2011), p. 70
  11. ^ 張明慧 (2010年2月7日). “上谷關德基段 梨山人可通行”. 聯合新聞網 地方新聞. オリジナルの2010年2月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100211000538/http://udn.com/NEWS/DOMESTIC/DOM4/5412606.shtml 2023年8月19日閲覧。 
  12. ^ 泰雅族: 哈崙台部落【Hrung】”. 臺灣原住民族資訊資源網. 原住民族委員會 (2015年). 2023年8月19日閲覧。
  13. ^ a b c 臺中市大谷關產業促進會 (2015年). “社造點補助計畫及成果”. 臺中市社區營造推動網. 臺中市政府文化局. 2023年8月19日閲覧。
  14. ^ 谷関温泉”. Taiwan. 交通部観光局 (2019年). 2023年8月19日閲覧。
  15. ^ a b 谷關明治溫泉”. 國家文化記憶庫. 找素材. 文化部. 2023年8月19日閲覧。
  16. ^ a b c 莊 (2011), p. 52
  17. ^ 呉 (2015)、30頁
  18. ^ 雪霸國家公園管理處 (1997), pp. 32-33
  19. ^ 溫; et al. (2013), pp. 29-32
  20. ^ 營埔文化 - 類型: 營埔文化類型”. 台灣史前文化. 國立自然科學博物館. 2023年8月19日閲覧。
  21. ^ 参山国家風景区 - 谷関ビジターセンター兼入関博物館”. Taiwan. 中華民國交通部觀光局 (2019年). 2023年8月19日閲覧。
  22. ^ 【台中】溫泉文學與藝術|谷關溫泉文化館”. FUN中台灣. 1111人力銀行 (2019年). 2023年8月19日閲覧。
  23. ^ 張炎銘 (2014年11月28日). “9月5日 - 天輪電廠正式發電與天輪壩”. 水利署電子報. 近期電子報. 經濟部水利署. 2023年8月19日閲覧。
  24. ^ 鄭超文 (2023年7月7日). “照片看歷史/1956年台灣第一條東西橫貫公路開工”. 聯合報. https://vip.udn.com/vip/story/122884/7282138 2023年8月19日閲覧。 
  25. ^ “1960年5月9日中橫通車! 台灣首條東西部公路系統就此貫通!”. 中央廣播電臺. 民報. (2019年5月9日). https://www.rti.org.tw/news/view/id/2020204 2023年8月19日閲覧。 
  26. ^ 和平谷關郵局”. 中華郵政全球資訊網. 中華郵政. 2023年8月19日閲覧。
  27. ^ 莊 (2011), p. 50
  28. ^ (PDF) 變更谷關風景特定區計畫(第四次通盤檢討)案【座談會資料】, 臺中市政府, (2019-03-07), p. 1, https://www.ud.taichung.gov.tw/media/408412/%E8%B0%B7%E9%97%9C%E5%85%AC%E5%91%8A%E7%AF%84%E5%9C%8D%E5%AE%A3%E5%82%B3%E5%96%AE-1080218%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E7%89%88.pdf 2023年8月19日閲覧。 
  29. ^ 台中縣政府 (1989), pp. 1-2
  30. ^ “【國五翻車33死】30年前遊覽車在谷關墜河42死、3傷 台灣最嚴重公路事故”. 上報. (2017年2月14日). https://www.upmedia.mg/news_info.php?Type=24&SerialNo=12160 2023年8月19日閲覧。 
  31. ^ “蘇花公路遊覽車撞山壁重大事故 勾起多件傷心往事”. 今日新聞. 中央社. (2021年3月17日). https://www.nownews.com/news/5213745 2023年8月19日閲覧。 
  32. ^ 陳進發; 錢伯冠; 黃金臣; 吳瑞龍. 921集集大地震 - 中橫公路谷關 - 德基段 搶修及復建規畫專題報告 (Report). 交通部公路局. 2014年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月19日閲覧
  33. ^ 黃如萍 (2013年8月25日). “小檔案 - 921後花20億搶修 通車前2周又坍了”. 中時新聞網. https://www.chinatimes.com/amp/realtimenews/20130825000318-260508 2023年8月19日閲覧。 
  34. ^ 陳; 謝; 彭 (2008), p. 330
  35. ^ 陳; 謝; 彭 (2008), p. 331
  36. ^ 莊 (2011), p. 53
  37. ^ 廖文漢 (2004年8月24日). “七夕才熱鬧慶祝 谷關溫泉又遇颱”. TVBS新聞網 (TVBS). https://news.tvbs.com.tw/life/479375 2023年8月19日閲覧。 
  38. ^ 張恵敏; 王志剛 (2005年7月24日). “風災重創谷關 孤城斷糧”. TVBS新聞網 (TVBS). https://news.tvbs.com.tw/life/434176 2023年8月19日閲覧。 
  39. ^ “辛樂克颱 / 路基沖毀 谷關篤銘橋斷出入受阻”. TVBS新聞網 (TVBS). (2008年9月14日). https://news.tvbs.com.tw/life/181321 2023年8月19日閲覧。 
  40. ^ 黃玿琮 (2010年7月5日). “中縣/中橫公路篤銘橋遷建通車 谷關新地標”. NOWnews今日新聞 (中華電視股份有限公司). オリジナルの2016年3月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160309221632/http://news.cts.com.tw/nownews/society/201007/201007050510662.html 2023年8月19日閲覧。 
  41. ^ 陳秋雲 (2011年10月31日). “久違了! 中橫公路「有條件」悄悄通車”. 聯合新聞網 國内要聞. オリジナルの2011年11月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111101181921/http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NATS5/6686198.shtml 2023年8月19日閲覧。 
  42. ^ 洪敬浤 (2018年11月16日). “中橫公車通車 上梨山只要1.5小時、最多60元”. 聯合新聞網. オリジナルの2019年4月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181120135959/https://udn.com/news/story/7325/3483859 2023年8月19日閲覧。 
  43. ^ 日本交通公社 (1989)、262頁
  44. ^ 日本交通公社 (1989)、262-263頁
  45. ^ 臺中市政府 (2013), p. 1–1
  46. ^ 水情查詢”. 水利局防災資訊網. 臺中市政府. 2023年8月19日閲覧。
  47. ^ 氣象局測站列表:415 上谷關”. SheetHub. SheetHub.com (2021年11月1日). 2023年8月19日閲覧。
  48. ^ 謝燕豪. “谷関の甘柿”. TraNews. 大台湾旅行ネット. 2023年8月19日閲覧。
  49. ^ a b 劉 (2008), p. 21
  50. ^ 八仙山国家森林遊楽区”. 台灣森林悠遊網. 農業省林業自然保護署 (2018年). 2023年8月19日閲覧。
  51. ^ 曽根 (2023)、56・61頁
  52. ^ 關於 ULTRA-TRAILⓇ OF MT. GUGUAN”. 谷關越野. 谷關越野組織委員會. 2023年8月19日閲覧。
  53. ^ Anma Shan: Taiwan”. Geographical Names. National Geospatial-Intelligence Agency. 2023年8月19日閲覧。
  54. ^ 大和田守「≪新刊紹介≫ 傳建明・左漢栄(2004)共著, 鞍馬山的蛾2, 363ページ, 図版:37-60., A4判., 漢字・英文併記., 台中縣郷土自然研究学会」『やどりが』第2005巻第204号、日本鱗翅学会、2005年、56-57頁、CRID 1390282680386049792doi:10.18984/yadoriga.2005.204_56ISSN 0513-417X2024年3月5日閲覧 
  55. ^ 八仙山国家森林遊楽区”. Taiwan. 中華民國交通部觀光局 (2019年). 2023年8月19日閲覧。
  56. ^ 白石、筒井、中川、江崎 (2008)、25頁
  57. ^ 雪霸國家公園(一): 雪山”. 數位典藏. 地質學. 國立自然科學博物館. 2023年8月19日閲覧。
  58. ^ 廬山層”. 數位典藏. 地質學. 國立自然科學博物館. 2023年8月19日閲覧。
  59. ^ 劉 (2008), p. 47

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

座標: 北緯24度12分10秒 東経121度00分14秒 / 北緯24.20278度 東経121.00389度 / 24.20278; 121.00389