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豊川市立一宮南部小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
豊川市立一宮南部小学校
地図北緯34度51分14.7秒 東経137度26分10.2秒 / 北緯34.854083度 東経137.436167度 / 34.854083; 137.436167座標: 北緯34度51分14.7秒 東経137度26分10.2秒 / 北緯34.854083度 東経137.436167度 / 34.854083; 137.436167
過去の名称 一宮町立一宮南部小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 豊川市
校訓 強い子 考える子 助け合う子
設立年月日 1976年4月2日[1]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210004928 ウィキデータを編集
所在地 441-1222
愛知県豊川市豊津町新地4番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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豊川市立一宮南部小学校(とよかわしりつ いちのみやなんぶしょうがっこう)は、愛知県豊川市豊津町にある公立小学校

概要

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沿革

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  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 一宮町立金沢小学校と一宮町立大和小学校を統合し、一宮町立一宮南部小学校として開校。
  • 1977年(昭和52年)7月 - 旧・金沢小学校と旧・大和小学校の二宮金次郎像を移設する。
  • 1982年(昭和57年) - 屋内運動場が完成する。
  • 1988年(昭和63年) - 校舎を増築する。
  • 2006年(平成18年)2月1日 - 一宮町が豊川市に編入される。同時に豊川市立一宮南部小学校に改称する。

一宮町立金沢小学校

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旧・八名郡金沢村の小学校であり、現在の豊川市金沢町金山3-1に存在した。跡地は豊川市立金沢保育園となっている。

  • 1872年(明治5年) - 御園村に小学御園校として開校。
  • 1874年(明治7年) - 小学養父学校に改称する。
  • 1877年(明治10年) - 金沢学校に改称する。
  • 1878年(明治11年)12月28日 - 御園村、養父村が合併し、金沢村が発足。
  • 1887年(明治20年) - 賀茂尋常小学校に改称する。
  • 1892年(明治25年) - 金沢尋常小学校に改称する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 金沢国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 金沢村立金沢小学校に改称する。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 賀茂村と金沢村が合併し、双和村が発足する。同時に双和村立金沢小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 双和村が分割され、大字金沢が宝飯郡一宮村に編入される。同時に一宮村立金沢小学校に改称する。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 町制施行で宝飯郡一宮町となる。同時に一宮町立金沢小学校に改称する。
  • 1976年(昭和51年)3月31日 - 廃校。

一宮町立大和小学校

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旧・八名郡大和村の小学校であり、現在の豊川市豊津町割田50に存在した。跡地は豊川市立大和保育園、大和公民館となっている。

  • 1872年(明治5年) - 日下部村に日下部学校として開校。
  • 1878年(明治11年)12月28日 - 中島村、日下部村、井之島村、橋尾村が合併し、豊津村となる。同時に豊津学校に改称する。
  • 1882年(明治15年)6月 - 旧・橋尾村の地域が分立し、橋尾村となる。
  • 1892年(明治25年) - 豊津尋常小学校に改称する。
  • 1920年(大正9年)8月1日 - 豊津村橋尾村が合併し、大和村が発足する。同時に大和尋常高等小学校に改称する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 大和国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革で国民学校高等科を閉科し[注釈 1]、大和村立大和小学校に改称する。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 大和村が一宮村に編入される。同時に一宮村立大和小学校に改称する。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 町制施行で宝飯郡一宮町となる。同時に一宮町立大和小学校に改称する。
  • 1976年(昭和51年)3月31日 - 廃校。

著名な出身者

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交通アクセス

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周辺施設

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脚注

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注釈
  1. ^ 中学校は一宮村に運営委託し、村内の中学生徒は一宮中学校に通学
出典

関連項目

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外部リンク

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