豊田市立稲武小学校
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豊田市立稲武小学校 | |
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北緯35度13分2.3秒 東経137度30分26.2秒 / 北緯35.217306度 東経137.507278度座標: 北緯35度13分2.3秒 東経137度30分26.2秒 / 北緯35.217306度 東経137.507278度 | |
過去の名称 | 稲武町立稲武小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 豊田市 |
校訓 | まじめ、力いっぱい |
設立年月日 | 1982年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B123210006007 |
所在地 | 〒441-2513 |
愛知県豊田市稲武町シモ田20-1 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
豊田市立稲武小学校(とよたしりつ いなぶしょうがっこう)は、愛知県豊田市稲武町にある公立小学校。
概要
[編集]- 旧・東加茂郡稲武町の小学校であり、校区は 稲武町、大野瀬町、押山町、小田木町、川手町、黒田町、桑原町、御所貝津町、冨永町、中当町、夏焼町、野入町、武節町である。公立中学校に進学する場合は豊田市立稲武中学校へ進学する[1]。
沿革
[編集]略歴
[編集]稲武町の小学校は、明治5年(1872年)8月15日、設楽郡武節村の一円寺に郷学校として明月清風校(後の稲武町立稲橋小学校)として設置された。設置には稲橋村の豪農、古橋暉皃・古橋義真親子が尽力し、開設時の教具、教員の給料、校舎の維持費などの経費は全て古橋家が寄付し、学校の経営資金は約10年にわたり古橋家が負担した[2]。明月清風校は学制発布後の明治6年(1873年)6月に第9中学区第43番小学明月清風校となり、清風館(後の豊田市立築羽小学校。2012年廃校。)を分離している。明治7年(1874年)8月16日には校舎が新築され、開校式を行った。明治8年(1875年)には押山村に押山学校(後の稲武町立押川小学校)、小田木村に小田木学校(後の稲武町立小田木小学校)、大野瀬村に大野瀬学校(後の稲武町立大野瀬小学校)を分離し、明治9年(1876年)に公立稲橋学校となった。明治16年(1883年)には野入村に稲橋学校野入分教場(後の稲武町立稲橋小学校野入分校)を設置している。明治12年(1879年)4月27日には黒田村に小田木学校黒田分教場が設置されたが明治20年(1887年)に廃校。後の明治25年(1892年)10月に黒田尋常小学校(後の稲武町立黒田小学校)として復活した。
稲武町の小学校の統合は、昭和55年(1980年)に稲武町から提案が行われ、2段階で行われた。
年表
[編集]- 出典:[3]
- 1980年(昭和55年)2月 - 稲武町より稲武町の小学校(稲橋小学校、稲橋小学校野入分校、黒田小学校、押川小学校、小田木小学校、大野瀬小学校)の統合が提案される。統合校舎の予定地は稲武町中心部となることから、先に予定地に近い小学校(稲橋小学校、稲橋小学校野入分校、黒田小学校、押川小学校)を統合し新設、その後距離がある地域の小学校(小田木小学校、大野瀬小学校)を新設校に統合することとなる。
- 1981年(昭和56年)
- 2月 - 統合校の名称が「稲武町立稲武小学校」に決定する。
- 4月22日 - 起工式を行う。
- 1982年(昭和57年)
- 3月24日 - 黒田小学校の廃校式を行う。
- 3月25日 - 押川小学校の廃校式を行う。
- 3月26日 - 稲橋小学校の廃校式を行う。
- 3月27日 - 稲橋小学校野入分校の廃校式を行う。
- 4月1日 - 第1次統合により、稲武町立稲武小学校として開校。
- 4月7日 - 開校式を行う。
- 1984年(昭和59年)4月1日 - 第2次統合により、小田木小学校、大野瀬小学校を統合する。
- 1985年(昭和60年)2月10日 - 校歌披露。(作詞:芳賀登、作曲:團伊玖磨)
- 2005年(平成17年)4月1日 - 稲武町が豊田市に編入される。同時に豊田市立稲武小学校に改称。2学期制の導入。
交通アクセス
[編集]周辺施設
[編集]- 豊田市役所稲武支所
- 豊田市立稲武中学校
- 豊田市立稲武こども園
- 道の駅どんぐりの里いなぶ
参考文献
[編集]- 稲武町教育委員会『稲武町史 通史編』稲武町、2000年、pp.691-729 995-1031
脚注
[編集]出典
[編集]注釈
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