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豊田文三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

豊田 文三郎(豐田、とよだ ぶんざぶろう、1853年嘉永6年7月[1][2][3][4])- 1896年明治29年)8月7日[1][2])は、明治期の実業家政治家衆議院議員大阪市会議長。

経歴

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摂津国大坂高麗橋2丁目[5][注釈 1]大阪府[1]東区大阪市[2]東区を経て現中央区高麗橋)で、糸商「越後屋」当主・豊田善右衛門の二男として生まれた[4][5]。今泉芝軒、藤沢南岳に漢学を[4][5]、名和大年、敷田年治に国書を教わった[4]

1876年(明治9年)有志と大阪演説会を設けて自由民権運動を進めた[3][4][5]。1882年(明治15年)大阪府会議員に選出され、同常置委員も務めた[1][2][3][4][5]。1889年(明治22年)大阪市の市制施行に伴い大阪市会議員に選出され、第2代市会議長も務めた[4][5]。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(大阪府第2区)で当選し[3][6]、1894年(明治27年)9月の第4回総選挙でも再選され[7]、最後に議員倶楽部に所属して、衆議院議員に通算2期在任した[1][2]。議員在任中の1896年8月に死去した[8]

また、愛珠幼稚園(現大阪市立愛珠幼稚園)の設置、私立大阪教育会、大阪私立衛生会などの設立にも尽力した[1][2][3][4][5]

実業界では、大阪電灯会社の創設に参画し取締役に就任した[1][2][3][4]

国政選挙歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『明治新立志編』78頁では淡路町1丁目。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』433頁。
  2. ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』308頁。
  3. ^ a b c d e f 『日本帝国国会議員正伝』173-174頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『明治新立志編』78-80頁。
  5. ^ a b c d e f g 『大阪人物辞典』792頁。
  6. ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』6頁。
  7. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』69頁。
  8. ^ 『官報』第3936号、明治29年8月11日。

参考文献

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  • 木戸照陽編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年。
  • 篠田正作編『明治新立志編』鍾美堂、1891年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 善貞司編『大阪人物辞典』清文堂出版、2000年。