豊錦規矩雄
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豊錦 規矩雄(とよにしき きくお、1912年10月4日[1][2] - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。井筒部屋→九重部屋→朝日山部屋所属[2]。本名は上田 菊男(うえだ きくお)[1][注 1]。最高位は東十両8枚目。得意技は突っ張り、右四つ、寄り。
経歴
[編集]大分県宇佐市出身[1][2]。井筒部屋に入門し、1927年1月場所に初土俵を踏む。その後、同郷の大関・豊國福馬が独立した際に九重部屋に移籍した(その後朝日山部屋に移籍)。1934年1月場所に十両に昇進したが、2場所続けて負け越し、幕下に陥落。「祝洋」に改名後の1937年1月場所に廃業した[1][2]。
主な成績
[編集]- 通算成績:32勝34敗11休 勝率.485
- 十両成績:9勝13敗 勝率.409
- 現役在位:9場所
- 十両在位:2場所
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1927年 (昭和2年) |
(前相撲) | x | x | x | ||
1928年 (昭和3年) |
x | x | x | x | ||
1929年 (昭和4年) |
x | x | x | x | ||
1930年 (昭和5年) |
x | x | x | x | ||
1931年 (昭和6年) |
x | x | x | x | ||
1932年 (昭和7年) |
x | x | x | x | ||
1933年 (昭和8年) |
x | x | 幕下 – |
x | ||
1934年 (昭和9年) |
東十両8枚目 4–7 |
x | 西十両13枚目 5–6 |
x | ||
1935年 (昭和10年) |
東幕下4枚目 5–6 |
x | 西幕下8枚目 6–5 |
x | ||
1936年 (昭和11年) |
東幕下4枚目 5–6 |
x | 西幕下9枚目 7–4 |
x | ||
1937年 (昭和12年) |
東幕下筆頭 引退 0–0–11 |
x | x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 宇佐錦(うさにしき)1927年1月場所 - 1933年1月場所
- 豊錦 菊太郎(とよにしき きくたろう)1933年5月場所 - 1934年1月場所
- 豊錦 規矩雄(とよにしき きくお)1934年5月場所 - 1935年1月場所
- 祝洋(いわいなだ)1935年5月場所 - 1937年1月場所
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『昭和の大相撲 資料編』 311頁では本名は「土田規矩雄」。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年