貫達人
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人物情報 | |
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生誕 |
1917年4月6日 日本熊本県熊本市 |
死没 | 2009年11月17日 (92歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
子供 | 長男:貫成人 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学(日本中世史) |
貫 達人(ぬき たつと、1917年4月6日 - 2009年11月17日[1])は、日本の歴史学者。青山学院大学文学部名誉教授。
来歴
[編集]1917年、熊本市生まれ。宇野哲人の三男に生まれ、貫正雄の養子となる。
1941年、東京帝国大学文学部国史学科卒[2]。東大史料編纂所員、鎌倉市史編纂員、東洋大学助教授、文部省教科書調査官、神奈川県立博物館(現・神奈川県立歴史博物館)学芸部長。1968年より青山学院大学文学部教授、1976年文学部長、1982年副学長。1987年に定年を迎え、定年退官と共に名誉教授。その後は宮崎産業経営大学学長を務め、1991年に退職。この間72年間に渡って鎌倉国宝館長を務めた。文化庁文化財保護審議会委員、神奈川県文化財保護審議会委員。
受賞・栄典
[編集]- 1983年:神奈川文化賞受賞。
家族・親族
[編集]- 長男:哲学者の貫成人。
- 父:宇野哲人。
- 兄:宇野精一は実兄。
- 弟:宇野義方は実弟。
- 弟:宇野健吾(筑波大学名誉教授、経済学、1922年 - )は実弟。
- 姉の夫:桑田六郎(大阪大学名誉教授・東洋史、1894年 - 1987年)、篠原健一(元早稲田大学教授・物理学者、1905年 - )。
- 妹の夫:安藤良雄(経済学、東京大学名誉教授、成城大学学長、1917年 - 1985年)。
著書
[編集]- 『鎌倉の廃寺 勝長寿院・永福寺・法華堂・大慈寺』 鎌倉市教育委員会ほか、1961年 鎌倉国宝館論集
- 『鎌倉の廃寺 諸宗の部』 鎌倉市教育委員会ほか、1962年 鎌倉国宝館論集
- 『畠山重忠』 人物叢書 吉川弘文館、1962年
- 『円覚寺』荒牧万佐行写真 中央公論美術出版、1964年
- 『鎌倉文化財散歩』 学生社、1972年
- 『鶴岡八幡宮』 中央公論美術出版、1976年 美術文化シリーズ
- 『鶴岡八幡宮寺 鎌倉の廃寺』 有隣新書、1996年
共編
[編集]- 『相州古文書 改訂新編』全5巻、角川書店、1965年-1970年
- 『鎌倉・歴史と美術』三山進共編、至文堂、1966年
- 『図説日本の歴史 6 鎌倉の幕府』編集責任、集英社、1974年
- 『鶴岡社務記録』三浦勝男共編、鶴岡八幡宮社務所、1978年、鶴岡叢書
- 『觧明鶴岡八幡宮古文書集』三浦勝男共編、鶴岡八幡宮社務所、1980年、鶴岡叢書
- 『鎌倉廃寺事典』川副武胤共著、有隣堂、1980年
- 『鎌倉のすべて』三山進共編、至文堂、1986年
- 『鶴岡八幡宮寺諸職次第』三浦勝男共編纂、鶴岡八幡宮社務所、1991年、鶴岡叢書
- 『鎌倉の仏教 中世都市の実像』石井進共編、有隣新書、1992年
- 『鎌倉志料』第8-9巻 編、鎌倉国宝館、1996年-2001年
- 『鎌倉の肖像彫刻』1-2 編、鎌倉国宝館、1997年-99年、鎌倉国宝館図録
- 『鎌倉の国宝 特輯』編、鎌倉国宝館、1999年
- 『鎌倉の五輪塔』編、鎌倉市教育委員会、2001年、鎌倉国宝館図録
- 『鎌倉の宝篋印塔』再版 編、鎌倉市教育委員会、2002年、鎌倉国宝館図録
参考
[編集]- 三浦勝男「貫達人氏の訃(学界消息)」『日本歴史』第743号、吉川弘文館、2010年、142頁。
- 『人事興信録』1995年
- 読売新聞訃報
脚注
[編集]- ^ 三浦勝男 2010
- ^ 東京帝国大学 編『東京帝国大学一覧 昭和17年』東京帝国大学、1943年9月、685頁。