赤トリヰ
営業当時の赤トリヰグリーンモール店 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒962-0001 福島県須賀川市森宿字北向88 |
設立 | 1905年(明治38年)[1] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 2380001011403 |
事業内容 | 総合小売業 |
代表者 | 吉田昌平[1] |
資本金 | 3000万円 |
売上高 | 32億円 |
従業員数 | 約150名(2011年(平成23年)4月29日時点、パートを含む)[1] |
外部リンク | http://www.akatorii.jp/ |
赤トリヰ | |
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店舗概要 | |
所在地 | 福島県須賀川市中町4-1 |
開業日 |
赤トリヰショッピングデパート 1967年(昭和42年)[2] 赤トリヰ中町店 2004年(平成16年)3月[3]9日 |
閉業日 |
マイカル福島赤トリヰ店 2000年(平成12年)1月10日[5] 赤トリヰ中町店 2005年(平成17年)5月31日[3] |
正式名称 | 赤トリヰ中町店[2] |
敷地面積 | 2,348 m²[2] |
延床面積 | 9,635 m²[2] |
商業施設面積 | 6,845 m²[6] |
前身 |
赤トリヰショッピングデパート マイカル福島赤トリヰ店[4] |
後身 |
須賀川市総合福祉センター[7] ↓ 須賀川市民交流センターtette |
最寄駅 | JR須賀川駅 |
赤トリヰグリーンモール | |
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店舗概要 | |
所在地 | 福島県須賀川市森宿字北向88 |
開業日 | 1981年(昭和56年)10月27日[8] |
閉業日 | 2011年(平成23年)4月29日[1] |
正式名称 | 赤トリヰグリーンモール[1] |
前身 | 須賀川サティ[9] |
後身 | フレスポ須賀川グリーンモール[10] |
株式会社赤トリヰ(あかとりい)は、福島県須賀川市に本社を置き、かつて百貨店やスーパーマーケットを経営していた企業である。法人としては現存しており、大型小売店事業からの撤退後、法人名を「吉田興産」に変更している[10]。
歴史・概要
[編集]1905年(明治38年)にメリヤス製品・洋傘店として創業。1967年(昭和42年)に中町に百貨店の赤トリヰショッピングデパートを開店し[2]、1976年(昭和51年)12月に地上5階地下1階の大型店に増改築した[2]。
1981年(昭和56年)10月27日にはモータリゼーションに対応させ、郊外の須賀川市森宿にショッピングモールの赤トリヰグリーンモールを開業。
1996年(平成8年)にはマイカルの傘下に入り、店舗の名称を同社の店舗ブランドを採用して赤トリヰ須賀川サティ店(須賀川サティ)へ変更した[9]。
1998年(平成10年)3月に経営基盤の強化を図るため、同じくマイカル傘下だった本宮町(現在の本宮市)の成田屋と合併し、『マイカル福島』が発足[11]。この時点で、須賀川市と本宮町に4店舗を経営していた[12]。
2000年(平成12年)1月10日に、郊外店進出で売上が低迷していた中町の赤トリヰを閉店して『須賀川サティ』に営業の本拠を移転させた[13]。
マイカルの破綻を受けて2003年(平成15年)3月1日にマイカルグループから離脱して社名を『赤トリヰ』に戻すと共に店舗名も『赤トリヰグリーンモール』にして再び地場資本の小売企業として自立した経営に移行した[9]。
2004年(平成16年)3月9日に須賀川店をスーパーマーケット赤トリヰ中町店として営業を再開させて中心市街地で店舗周辺の商店街の活性化を目指したが[3]、商店街のコミュニティーが崩壊して足並みが揃わなかったことなども影響して[14]集客や売上が伸び悩み[3]、再開から1年余りの2005年(平成17年)5月31日に再び閉店した(2005年は創業100周年でもあった)[3]。
同年11月9日に中町店の土地と建物を約1.1億円で須賀川市に譲渡して2007年(平成19年)から[15]総合福祉センターとして活用されることになった[7]。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で建物に甚大な損傷が発生しながらも、震災後一時営業を再開したが安全的見解から4月29日をもって閉店し、パートを含む従業員約150人は全員を解雇して小売企業としての営業活動を事実上休止した[1]。
閉店時には新店舗の開設後に積極的に再雇用する方針としていた[1]が、2012年(平成24年)にヨークベニマルやホーマックなど5店舗が入居する「フレスポ須賀川グリーンモール」が赤トリヰグリーンモールの跡地に開業することを発表し[16]、同社自体が直営で大型小売店事業を再開しないことが表明。2013年(平成25年)9月20日に、赤トリヰグリーンモール店跡地に複合商業施設「フレスポ須賀川グリーンモール」が開店した[10]。
なお、大型小売店事業からの撤退後、法人名を「吉田興産」に変更[10]。
現在は、須賀川市加治町に洋品店「マイショップ赤トリヰ」として、規模を縮小して営業している[17]。
沿革
[編集]- 1905年(明治38年)[1] - メリヤス製品・洋傘店として創業。以後、市内には紳士服店や洋服店「赤トリヰ 壱番館」を展開する。
- 1967年(昭和42年)- 「赤トリヰショッピングデパート」(須賀川店)開店[6]。(1976年(昭和51年)12月に増改築して新装開店。)
- 1981年(昭和56年)10月27日 - 「赤トリヰグリーンモール」開業[8]。
- 1996年(平成8年) - マイカルグループに加入。
- 1998年(平成10年)3月 - 本宮市の「成田屋」と合併し、社名をマイカル福島に変更[11]。
- 2000年(平成12年)1月10日 - 中町の「マイカル福島赤トリヰ店」閉店[5]。
- 2003年(平成15年)3月1日 - マイカルグループから離脱し、社名を赤トリヰに戻す[9]。
- 2004年(平成16年)3月[3]9日 - 食品スーパーとして[14]「赤トリヰ中町店」開店[3]
- 2005年(平成17年)
- 2011年(平成23年)
- 4月5日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で、店舗に地盤沈下など甚大な被害を受け「赤トリヰ」グリーンモール店の閉店を発表する。
- 4月29日 - 「赤トリヰグリーンモール店閉店」[1]。
- 2013年(平成25年)9月20日 - 「赤トリヰグリーンモール店」跡地に複合商業施設フレスポ須賀川グリーンモール開店[10]。
- 時期不明 - 「マイショップ赤トリヰ」開店。
- 2017年(平成29年)12月7日 - 「メンズショップ赤トリヰ」開店[17]。
店舗
[編集]かつてあった店舗
[編集]いずれも解体されており、現存しない。
- 「赤トリヰショッピングデパート」→「マイカル福島赤トリヰ店」[12](福島県須賀川市中町4-1、1967年(昭和42年)開店[6] - 2000年(平成12年)1月10日閉店[5])
- 「赤トリヰ中町店」
- 「赤トリヰグリーンモール」→「赤トリヰ須賀川サティ店」→「マイカル福島須賀川サティ店」→「赤トリヰグリーンモール店」(福島県須賀川市森宿字北向88、1981年(昭和56年)10月27日開業[8] - 2011年(平成23年)4月29日閉鎖[1])
- 地上2階建て、延床面積9,675m2、売り場面積4,500m2の郊外型ショッピングモールとして[20]、1981年(昭和56年)10月に開業。店舗正面左側には、約35,000m2の敷地内に観覧車などの遊具が設けられた遊園地も開設された。須賀川サティに店名を変更する際の改装で撤去され、跡地は駐車場となった。国道4号線からは実際に赤い鳥居が見られたがサティ転換前後に撤去された。
- 1996年(平成8年)から2003年(平成15年)までは、マイカルグループ傘下のマイカル福島「須賀川サティ」店に店名を変えていたが、マイカル破綻によるグループ離脱後は元の名称に戻した。
- 2013年(平成25年)9月20日に跡地に複合商業施設フレスポ須賀川グリーンモールが開店した[10]。
- 「成田屋本宮ファミリー店」→「マイカル福島本宮ファミリー店」→「赤トリヰ本宮店」[21]
- 「成田屋中条店」[11]
- 食料品中心を扱う店舗[11]。
- 「成田屋駅前店」
事故
[編集]- 1982年(昭和57年)4月27日15時50分頃、当時3歳の男児が、赤トリヰグリーンモール内の観覧車の高さ約27m地点のゴンドラから転落[24][25]。郡山市内の病院に全身打撲の重体で救急搬送され、救命処置が取られるも、翌4月28日22時40分に、全身打撲と脳挫傷のため死亡した[25]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j “須賀川の赤トリヰグリーンモール、閉店”. 福島民報 (福島民報). (2011年4月30日)
- ^ a b c d e f 福沢光一 (2005年11月10日). “須賀川市:閉店スーパー「赤トリヰ中町店」の土地・建物を買い取りへ”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c d e f g h i j “再開1年余 31日に閉店 赤トリヰ中町店”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2005年5月27日)
- ^ a b 「赤トリヰ店 年明け閉鎖」 『朝日新聞』(朝日新聞社)、1999年10月20日、朝刊27面(福島面)。
- ^ a b c d 「赤トリヰ閉店 須賀川」『福島民友』(福島民友新聞)、2000年(平成12年)1月10日、朝刊。
- ^ a b c 持続可能な歩いて暮らせる新しいまちづくり検討委員会 第6回 資料 (Report). 福島県商工労働部商工総務領域商業まちづくりグループ. (2007年9月3日).
- ^ a b “大型店閉店後の土地・建物の活用方法(福島県須賀川市など)”. 月刊まちづくり情報 第13号 (都市計画協会) (2005年12月).
- ^ a b c 「主婦ら2万人どっと 赤トリヰグリーンモール」『福島民報』(福島民報社)、1981年(昭和56年)10月29日、朝刊15面、県南版(『福島民報縮刷版昭和56年10月号』、南29頁)。
- ^ a b c d “マイカル福島「赤トリヰ」に社名変更 3月1日スタート”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2003年2月17日)
- ^ a b c d e f “複合商業施設オープン フレスポ須賀川グリーンモール” 福島民友新聞 (福島民友新聞社). (2013年9月21日)
- ^ a b c d 「赤トリヰ(須賀川) 成田屋(本宮) 3月に合併、新会社設立」『福島民報』(福島民報社)、1998年(平成10年)1月7日、朝刊10面(『福島民報縮刷版平成10年1月号』、298頁)。
- ^ a b 「赤トリヰ店 年明け閉鎖」『朝日新聞』(朝日新聞社)1999年(平成11年)10月20日、朝刊27面(福島面)。
- ^ “マイカル・赤トリイ須賀川SC1月10日に閉店 福井県須賀川”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年3月16日)
- ^ a b c “試される自治第1部「どうする中心市街地」商店街の一体化不可欠 足並み狂わす「自分だけ」の姿勢”. 読売新聞 (読売新聞社). (2005年6月21日)
- ^ a b c “須賀川市、旧百貨店店舗を取得 07年度から福祉施設に”. 河北新報 (河北新報社). (2005年11月10日)
- ^ “福島県須賀川市に「フレスポ須賀川」ヨークベニマル・ホーマック・サンドラッグなど5店 【赤トリヰグリーンモール跡】に来春開業”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2012年9月10日)
- ^ a b c d “マイショップ 赤トリヰ・メンズショップ 赤トリヰ|シニア世代向けの紳士・婦人服店 【須賀川市】(ぐるっとまざーる)”. 株式会社マザール. 2018年9月11日閲覧。
- ^ 「本格的なデパート誕生 商店街の"核"に」『福島民報』(福島民報社)、1976年12月3日、朝刊、県南版(『福島民報縮刷版昭和51年12月号』、南3頁)。
- ^ “「まちかど物語【 須賀川・赤トリヰ 】 『夢の跡』また集う場に 笑顔あふれるよう」(2018年1月21日)”. 福島民友(福島民友新聞). 2018年9月11日閲覧。
- ^ 「遊園地とデパートが一緒 須賀川市の赤トリヰ・グリーンモール きょうオープン」『福島民報』(福島民報社)、1981年(昭和56年)10月27日、朝刊12面、ワイド地方版(『福島民報縮刷版昭和56年10月号』、510頁)。
- ^ a b “赤トリヰ本宮店跡地にベニマル店舗を移転”. 福島民友新聞 (福島民友新聞社). (2011年3月8日)
- ^ a b 「大郡山本宮版「商工ニュース【本宮】「本宮ファミリーがオープン」」『福島民報』1980年12月7日、朝刊(『福島民報昭和55年12月』郡12頁)。
- ^ 一部店舗の名称変更のお知らせ (PDF)
- ^ 「幼児、観覧車から転落 修理中もぐり込み重体」『福島民報』(福島民報社)、1982年(昭和57年)4月28日、朝刊15面(『福島民報縮刷版昭和57年4月号』、531頁)。
- ^ a b c d e 「「生きて」の願いむなし」『福島民報』(福島民報社)、1982年(昭和57)5月1日、朝刊19面(『福島民報縮刷版昭和56年5月号』19頁)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 株式会社赤トリヰ
- マイショップ 赤トリヰ・メンズショップ 赤トリヰ - ぐるっとまざーる