赤土正強
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赤土 正強(赤土 正强、しゃくど まさたけ[1]、1888年(明治21年)8月16日[1] - 1944年(昭和19年)3月11日[2])は、日本の内務官僚、足利市長。
経歴
[編集]奈良県北葛城郡下田村(現在の香芝市)出身[2]。天王寺中学校を経て、第四高等学校を卒業[2]。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1913年、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。内務省に入省し滋賀県属となる。
以後、滋賀県警視、同県神崎郡長、同野洲郡長、鳥取県理事官・視学官、京都府理事官・産業部長、山梨県書記官・警察部長、奈良県書記官・内務部長、愛媛県書記官・内務部長、福島県書記官・内務部長、長崎県書記官・総務部長などを歴任[2]。
1937年7月8日、依願免本官となり退官した[2]。退官後、足利市長を1944年1月まで務め、特に渡良瀬川と袋川の改修工事に尽力した[2]。退任後の3月11日に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
- 故勲四等赤土正強叙勲の件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)
公職 | ||
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先代 久保種一 |
足利市長 第5代:1937 - 1944 |
次代 真鍋安次 |