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赤堀又次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤堀 又次郎
人物情報
生誕 (1866-10-18) 1866年10月18日
日本の旗 日本
死没 1945年????
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
配偶者 三子
両親 父:象万侶
母:佐渡子
学問
時代 明治大正
研究分野 国語学
書誌学
研究機関 東京帝国大学文科大学
東京専門学校
主要な作品 #著書
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赤堀 又次郎(あかほり またじろう、1866年10月18日慶応2年9月10日〉 - 1945年昭和20年〉)は、日本国学者国語学者書誌学者[1]図書館学者[1]

生涯

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明治10年代初頭の東京大学文学部は、洋学尊重の時代的風潮に影響されて和漢文学を専攻する学生は乏しかった。これを憂えた小中村清矩の献策に基づいて、文学部に古典講習科が付設された[2][3]。赤堀はここに入学し、修業年限3年[4]の後に卒業した。本科に比してこの科に学ぶものが多く、落合直文らの実力を有する学者が輩出して、古典研究の発展に寄与するものが少なくなかった。

1888年(明治21年)創立の私立言語取調所(会長伊達宗城[5]で、のちに『国語学書目解題』として出版される書籍の編纂に、林 美落合直澄逸見仲三郎とともに着手したが出版に至らず、1890年(明治23年)10月9日に取調所の図書、器具、金員の帝国大学への寄付が願い出られて許されたときに、この初稿も含まれていた[6]。赤堀は大学で引き続き、この原稿を仕上げ1891年1894年に出版を試みたものの成らなかった。1897年(明治30年)9月、東京帝国大学文科大学に国語研究室が置かれた際に、原稿もここに属することになり[6][7]、さらに校訂を加えて出版するに至った[6]1898年(明治31年)から1900年(明治33年)9月の時期には講師の身分となっている[8]。この間、国学者として東京専門学校文学科で有職故実を講じている[9]

業績

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図書館運営に関与

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1894年(明治27年)3月24日には、日本図書館協会幹事に選出され、また協会機関紙発行調査委員も務めて[10]協会の運営に深く関わった[11][12][13][14][15][16][17][18][19][20]

1904年(明治37年)10月10日早稲田大学1902年(明治35年)に東京専門学校から改称)図書館の商議員を嘱托される[21]。これ以降、早稲田大学図書館をしばしば訪れ、また館長の市島春城(謙吉)も赤堀と相談しながら蔵書の整備や運営を行っている[22][23][24][25][26]

日本図書館協会会員氏名録(1917年(大正6年)3月)によると、特別会員となっており、当時の住所は東京市牛込区加賀町2-15 である。

国書刊行会で尽力

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市島が国書刊行会の事業に取り組むことになり[27]、赤堀も国書刊行会の評議員を務め[28][29]運営に尽力する[30]。後年、刊行会が解散し実質的な後継企業として続群書類従完成会が設立された際には、そのスタッフを務めた。

人物

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赤堀は気難しい性格の人間だった。山田孝雄の回想によると、「上田萬年の家に居候になりながら、自分の家が上田家の主人筋に当たるということで、少しも遠慮せずに「こんな不味い味噌汁が食えるか」というようなことを言うので、奥さんが手を焼いたらしい」という[31]

『国語学書目解題』は、国語学史における主要解題書としてしばしば引用されてきたが[32]、これの出版を機に上田萬年とは絶交状態になった。同じく山田孝雄の回想によると、「上田は国語研究室の名で出すつもりだったが、赤堀が「自分が専ら骨を折ったものだから」と自分の名前で出版してしまったので、上田の不興を買った」という[31]

家族

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国学者・赤堀象万侶の二男で、伊勢国一志郡久居(現・三重県津市)の赤堀家の養子となっていた[33]

の象万侶は幕末まで尾張国丹羽郡犬山針綱神社神官で、維新後は美濃国武儀郡春日神社の祀官を務める国学者であった[34]

の三子は、赤堀と東京大学文学部附属古典講習科の同期生で鹿島則文の長男である則泰のである。

著書

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単著

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雑誌

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共著

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編著

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共編

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校訂

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脚注

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  1. ^ a b 稲村徹元 解説』〈日本印書考 (日本書誌学大系20)〉1982年、346頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12236362/1/179 
  2. ^ 藤田『古典講習科の展開』、101頁。 
  3. ^ 東京大学百年史 部局史 1』、713頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12112705/1/380 
  4. ^ 東京大学百年史 部局史 1』、416頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12112705/1/380 
  5. ^ 日下部重太郎『現代の国語』、306 - 307頁https://dl.ndl.go.jp/pid/951202/1/169。「19年9月帝國大學に博言學科が置かれた。21年12月20日私立で言語取調所が創設された。~その擔任者は、赤堀又次郞、上田萬年、落合直澄、落合直文、大澤小源太、黑田太久馬~の諸氏であった」 
  6. ^ a b c 赤堀『国語学書目解題 緒言』1902年https://dl.ndl.go.jp/pid/991486/1/2 
  7. ^ 東京大学百年史 部局史 1』東京大学出版会、1986年、704頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12112705/1/376 
  8. ^ 東京大学百年史 部局史 1』、715頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12109820/1/398 
  9. ^ 赤堀『有職故實(東京專門學校文學科第五回一部講義録)https://dl.ndl.go.jp/pid/1082421/1/2 
  10. ^ 日本図書館協会沿革略. p. 25. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/14. "【明治41年3月29日】此月雑誌編纂委員長の推薦に基き、従前委員の外更に市島謙吉、赤堀又次郞、渡邊又次郞加藤万作四氏に編纂員を囑託す。" 
  11. ^ 日本図書館協会沿革略. p. 2. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/3. "【明治26年3月25日】第二期第一例會を玉川堂に開く。~帝國大學博言學教室圖書擔任赤堀又次郞氏「和漢書目錄編纂規則中の排列順序」につきて演述す。" 
  12. ^ 日本図書館協会沿革略. p. 8. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/6. "【明治33年11月17日】東京市立図書館の規模等に就き東京市に於いて本会へ諮詢せらるべきことを~調査委員として和田萬吉太田為三郎、赤堀又次郞、石井藤五郞松井簡治五氏を指名し、直に其承諾を経たり" 
  13. ^ 日本図書館協会沿革略. p. 10. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/7. "【明治36年5月2日】夏季例會を神田今川小路玉川亭に開く。~赤堀又次郎氏の「古版圖書模造に関する注意」の諸講演あり。" 
  14. ^ 日本図書館協会沿革略. pp. 10 - 11. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/7. "【明治36年8月1日至14日】本會主催第一回圖書館事項講習會を大橋圖書館内に開く。~ 和漢書誌學及日本圖書館史 赤堀又次郎~" 
  15. ^ 日本図書館協会沿革略. p. 13. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/8. "【明治37年12月26日】第二回図書展覧会挙行の準備並に実行委員として田中稲城西村竹間太田為三郎文屋留太郎坂本四方太長谷川館一市島謙吉、赤堀又次郞八氏を會長より指名委嘱す。" 
  16. ^ 日本図書館協会沿革略. p. 15. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/9. "【明治38年11月30日】本期秋期例會を大橋圖書館に開く。~赤堀又次郞八氏は「旅順奉天等に於ける図書館の現況及各地の人情風俗」を演述す。" 
  17. ^ 日本図書館協会沿革略. p. 25. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/14. "【明治41年3月29日】雑誌編纂委員長の推薦に基づき、従前委員の外更に市島謙吉、赤堀又次郞、渡邊又次郞、加藤万作四氏に編纂員を囑託す" 
  18. ^ 日本図書館協会沿革略. p. 30. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/17. "【明治42年5月1日】~今次大會の目的を語り、赤堀又次郞氏は別室陳列の珍書に就きて品評談を試み~" 
  19. ^ 日本図書館協会沿革略. p. 36. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/20. "【明治43年11月4日】~第三部主事赤堀又次郞氏は稻田政吉氏携帶に係る春日版經文等に就きて評論せる事~" 
  20. ^ 日本図書館協会沿革略. p. 43. https://dl.ndl.go.jp/pid/11230057/1/23. "【大正元年11月2日】~役員の選挙を行ひ、~評議員に内田、本多、赤堀、加藤(以上東京)~の七氏當選す" 
  21. ^ 早稲田大学図書館『館長日誌』翻刻と解題(上). p. 148. 
  22. ^ 早稲田大学図書館『館長日誌』翻刻と解題(下). p. 153. "3月15日、「赤堀氏来館、半日館本を検す。展覧会に出すべき書籍を選択之爲也」" 
  23. ^ “翻刻『春城日誌』(2)”. 早稲田大学図書館紀要 第27巻: 143頁. 
  24. ^ “翻刻『春城日誌』(3)”. 早稲田大学図書館紀要 第28巻: 144頁. 
  25. ^ “翻刻『春城日誌』(4)”. 早稲田大学図書館紀要 第29巻: 182、188、167、168、169、170頁. 
  26. ^ “翻刻『春城日誌』(5)”. 早稲田大学図書館紀要 第31巻: 193、210. 
  27. ^ “翻刻『春城日誌』(5)”. 早稲田大学図書館紀要 第31巻: 186、188、189、190、201、226. 
  28. ^ “翻刻『春城日誌』(5)”. 早稲田大学図書館紀要 第31巻: 188、189. 
  29. ^ 市島謙吉『第1期刊行顛末』国書刊行会〈国書刊行会出版図書目録〉、3頁https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/897189/1/201 
  30. ^ 市島『第1期刊行顛末』、19頁https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/897189/1/209 
  31. ^ a b 伊藤正雄『忘れ得ぬ国文学者たち』右文書院、1973年11月。 足立巻一やちまた』「第20章」よりの孫引き)
  32. ^ 国語科学講座 III』明治書院、1934年、111頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1870661/1/118。「主要な国語学史及解題書を挙げておく。~赤堀又次郞氏の國語學書目解題(三十五年)~」 
  33. ^ 須藤聡・簗瀬大輔「秀郷流赤堀氏の伝承と資料の調査」『群馬県立歴史博物館紀要』第20号、群馬県立歴史博物館、1999年3月31日、145-162頁。 
  34. ^ 茶六「ウル〻」『風俗画報』第20号、東陽堂編輯所、1890年9月10日、13頁。 

参考文献

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早稲田大学図書館紀要 「春城日誌」関連

関連項目

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