赤沼智善
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赤沼 智善 | |
人物情報 | |
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生誕 |
1884年8月25日 日本 新潟県長岡市 |
死没 | 1937年11月30日 (53歳没) |
出身校 | 大谷大学 |
学問 | |
研究分野 | 仏教学 |
研究機関 | 大谷大学 |
赤沼 智善(あかぬま ちぜん、1884年(明治17年)8月25日 - 1937年(昭和12年)11月30日)は日本の仏教学者、専攻は原始仏教。大谷大学教授。
経歴
[編集]1884年(明治17年)、新潟県長岡市上田町の願浄寺[1]に生まれた。真宗大学に入学し、仏教学を学ぶ。1909年、同郷の山辺習学と共に浩々洞同人となり清沢満之に学ぶ。研究科を卒業後、山辺習学と共に仏教研鑽のためにインド、セイロンに留学し、イギリスを経て1919年に帰国。1919年9月より真宗大学教授に任じられ、原始仏教ならびにパーリ語を講じた。在職中は、同大学図書館長などを務めた。
1921年、国際的視野をもった鈴木大拙、佐々木月樵らとともに、仏教本来の意義を欧米に伝えることを主な目的として"東方仏教徒協会"(The Eastern Buddhist Society)[2]を設立。
1937年11月30日午前6時、自坊にて不慮の事故により死去。法名は「樹心院釋智善」。
研究内容・業績
[編集]漢訳の阿含経やパーリ語のニカーヤの研究を通して、初期の仏教教団や釈尊の教説を研究した。
著作
[編集]著書
[編集]論文
[編集]著作のいくつかは、『赤沼智善著作選集』1~12巻 (赤沼智善著作選集刊行会,うしお出版)としてまとめられている。
外部リンク
[編集]- 仏教学デジタル図書館(国立台湾大学文学院哲学学科・赤沼智善)[2]
- コトバンク>赤沼智善