赤石行三
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赤石 行三(あかいし ぎょうぞう、1834年〈天保5年〉[1][注 1] - 1896年〈明治29年〉9月5日[1][2])は日本の政治家。青森県弘前市長。
来歴
[編集]津軽藩士土岐渡人の子に生まれる[3]。幼名、礼次郎[3]。藩命により赤石愛太郎家を継いだ[1]。鰺ヶ沢奉行となり、1867年には上京し、京都留守居役として二条城に赴く[1][3]。大政奉還の際にはその手腕を発揮し、明治天皇の即位の大礼には藩主の名代として祝辞を述べた[3]。1870年、会議局議員となる[3]。
1880年には青森県会議員となり、1882年に県会副議長となる[1][3]。その後、第五十九国立銀行取締役支配人となり、1891年に弘前市収入役となった。収入役となって間もなく、市会の内紛により市長の長尾義連が辞職、その後任の市長となった[3]。5年後の1896年、市長在職のまま死去した。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本の歴代市長』第1巻、182頁では「天保元年(1830年)」と記載。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。