赤穂城 (1952年の映画)
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赤穂城 | |
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監督 | 萩原遼 |
脚本 | 民門敏雄 |
原作 | 住吉山声 |
製作 | マキノ光雄、長橋秀憲 |
製作総指揮 | 大川博 |
出演者 |
片岡千恵蔵 山田五十鈴 木暮実千代 月形龍之介 河津清三郎 薄田研二 |
音楽 | 深井史郎 |
撮影 | 三木滋人 |
編集 | 宮本信太郎 |
製作会社 | 東映京都撮影所 |
配給 | 東映 |
公開 | 1952年4月24日 |
上映時間 | 81分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
次作 | 續 赤穂城 |
『赤穂城』(あこうじょう)は、1952年(昭和27年)4月24日公開の日本映画である。東映製作・配給。監督は萩原遼、主演は片岡千恵蔵。白黒、スタンダード、81分。
概要
[編集]仇討ちや復讐劇を封建的なものとして禁じてきたGHQの方針を受けて自粛が続けられてきた"忠臣蔵もの"の、外伝や義士銘々伝ではない本流の本格的作品としては、これが戦後最初のものである[1]。
戦前の新興キネマの娯楽路線と、戦時中の国策映画会社満州映画協会の人脈とを引き継ぎ、片岡千恵蔵、市川右太衛門、月形龍之介といった戦前からの時代劇スターを擁していた戦後の新興映画会社=東映が、サンフランシスコ講和条約の発効(1952年4月28日)による占領政策の終結、日本の独立のタイミングで、占領期間中を通じて自粛されてきた"忠臣蔵もの"の復活と、時代劇を柱としていく自社の方針を高らかに宣言した作品、と見ることができる[2]。
片岡千恵蔵が、戦前からの当たり役である浅野内匠頭と、大石内蔵助(初演)の二役を演じている点も興味深い。
スタッフ
[編集]- 製作総指揮:大川博
- 製作:マキノ光雄、長橋秀憲
- 企画:坪井与、玉木潤一郎
- 原作:住吉山声
- 脚本:民門敏雄
- 撮影:三木滋人
- 美術:角井平吉
- 編集:宮本信太郎
- 音楽:深井史郎
- 録音:佐々木稔郎
- 照明:山根秀一
- 記録:川島衣栄
- 殺陣:足立伶二郎
- 衣裳考証:甲斐庄楠音
- 監督:萩原遼
キャスト
[編集]- 女中おはる:御園裕子
- 老女:衣笠淳子
- 大石主税:沢村アキオ(後の長門裕之)
- 大石吉千代:沢村マサヒコ(後の津川雅彦)
- 大石おくう:八木美栄子
- 安井彦右衛門:山口勇
- 大高源吾:加賀邦男
- 早水藤左衛門:上代悠司
- 畳屋吉蔵:寺島雄作
- 浅野大学:尾上菊太郎
- 梶川与惣兵衛:阿部九洲男
- 大野九郎兵衛:高松錦之助
- 荘田下総守:富本民平
- 月岡治右衛門:小堀明男
- 荒木十左衛門:河部五郎
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 谷川建司『戦後忠臣蔵映画の全貌』集英社クリエイティブ、2013年11月。ISBN 978-4-420-31068-0。