赤穂神社
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赤穂神社 | |
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所在地 | 奈良県奈良市高畑町1320 |
位置 | 北緯34度40分36.8秒 東経135度50分33.6秒 / 北緯34.676889度 東経135.842667度座標: 北緯34度40分36.8秒 東経135度50分33.6秒 / 北緯34.676889度 東経135.842667度 |
主祭神 | 天児屋根命 |
社格等 | 式内小社、旧村社[1] |
地図 |
赤穂神社(あかぼじんじゃ[2])は、奈良県奈良市高畑町にある神社である。式内社。
『延喜式』所載の神社で、二月堂のお水取りの際に読み上げられる『神名帳』にも「赤穂明神」とある。
天武天皇6年(678年)4月14日に十市皇女を、天武天皇10年(682年)に氷上娘を「赤穂」の地に葬ったと『日本書紀』に記されており、その赤穂としてこの地が有力とされている。
祭神
[編集]天児屋根命を主祭神とし、天満宮・弁才天を合祀した社を併置している。
「高貴の姫君を祀る」との口碑伝承もあり、女性守護の霊験があるとされている。
歴史
[編集]飛鳥時代よりの藤原氏の氏神であり、平城遷都に伴いこの地に遷座したと伝わる[3]。熟稲を神籬に懸け、「赤丹穂に聞食し給へ」と申したことより、赤穂の社と呼ばれるようになったという[3]。
もとは数百坪程の社地があったといわれ、明井町(閼伽井町か)の通りに大鳥居があり、桜の名所である神領も所持していた[3]。後年田になり、一帯が「桜田」とよばれた[3]。
明治維新を機に荒廃し、200戸近い家々・禰宜の大半が離散し築地塀のみが虚しく残ったといい、堀辰雄らが哀惜の詩文を残したとされる。これを嘆いた地元の有志によって復興が進められ、天満宮と弁才天社を合祀して赤穂神社の左に配し、二社並存という形とした。
1930年(昭和5年)、この近所にある新薬師寺のそばの鏡神社の別社となり現在に至る[3]。
伝説
[編集]聖武天皇が眼病の際、新薬師寺に祈念したところ、夢に「赤穂の神に祈り、社の西南にある清浄水で眼を洗うべし」との神託があった[3]。その通りにしたところたちまち快癒し、それにちなみその清水は明井と名付けられ、今は閼伽井と呼ばれる[3]。
交通アクセス
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 奈良県史編集委員会 編『奈良県史 5 神社』名著出版、1989年。