越川彰
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越川 彰 | |
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生誕 |
1884年5月13日 日本 千葉県 |
死没 | 1970年1月14日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1938年 |
最終階級 | 陸軍軍医中将 |
越川 彰(こしかわ あきら、1884年(明治17年)5月13日[1] - 1970年(昭和45年)1月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人、医師。最終階級は陸軍軍医中将。位階勲等は正四位勲三等[2]。
経歴
[編集]千葉県出身[1]。1912年(明治45年)、東京帝国大学医学部を卒業し[2]、6月29日に陸軍二等軍医に任官された[3]。1915年(大正4年)6月、陸軍一等軍医に進み[3]、1919年(大正9年)9月時点で陸軍軍医学校副官の任にあった[3]。1921年(大正10年)4月、陸軍三等軍医正に進級し[4]、1923年(大正12年)9月時点で鉄道第2連隊附であり[4]、1924年(大正13年)9月時点で善通寺衛戍病院附に転じた[5]。1925年(大正14年)3月に陸軍二等軍医正に進級し[6]、9月時点で佐倉衛戍病院長兼歩兵第57連隊附に就任し[6]、1926年(大正15年)12月に龍山衛戍病院附に転じた[7]。
1929年(昭和4年)8月、陸軍一等軍医正進級と同時に広島衛戍病院附に着任した[8][9]。1930年(昭和5年)8月、熊本衛戍病院長に転じ[9]、1932年(昭和7年)8月に第6師団軍医部長と歴任した[9]。1934年(昭和9年)3月、第20師団軍医部長に転補され[10]、8月に陸軍軍医監に進級した[9]。1936年(昭和11年)3月に東京第一衛戍病院長に就任し[1]、1938年(昭和13年)3月1日に陸軍軍医中将に進級[9]、3月25日に予備役に編入された[11]。
戦後は東京都品川区代々木大原町で越川医院院長を務めた[12]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 福川 2001, 303頁.
- ^ a b 人事興信所 1941, コ122頁.
- ^ a b c 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正9年9月1日調1574頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調1468頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正13年9月1日調1467頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調1381頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和2年9月1日調1372頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和4年9月1日調1373頁
- ^ a b c d e 外山 1981, 539頁.
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿: 索引付 昭和9年9月1日調41頁
- ^ 『官報』第3366号「叙任及辞令」1938年3月26日。
- ^ 医学公論社 1951, 131頁.
参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 人事興信所 編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年 。
- 医学公論社 編『日本医籍録 第19版』医学公論社、1951年 。