越後和男
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名前 | ||||||
カタカナ | エチゴ カズオ | |||||
ラテン文字 | ECHIGO Kazuo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1965年12月28日(58歳) | |||||
出身地 | 三重県三重郡 | |||||
身長 | 171cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1981-1983 | 四日市中央工業高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1995 | 古河/ジェフユナイテッド市原 | 174 | (27) | |||
1996-1999 | ブランメル仙台/ベガルタ仙台 | 84 | (13) | |||
通算 | 258 | (40) | ||||
代表歴2 | ||||||
1986-1987 | 日本 | 6 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
2007-2010 | ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ | |||||
2011-2016 | ベガルタ仙台ユース | |||||
2017-2018 | マイナビベガルタ仙台レディース | |||||
2019-2022 | チャーニーズタイペイ女子 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2009年9月6日現在。 2. 2009年9月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
越後 和男(えちご かずお、1965年12月28日 - )は、三重県三重郡出身の元サッカー選手、サッカー指導者。JFA 公認S級コーチ。 選手時代のポジションはミッドフィールダー。
略歴
[編集]三重県立四日市中央工業から1984年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部(現 ジェフユナイテッド市原・千葉)へ入部。2年目の1985年シーズンに9年ぶり2度目のリーグ優勝に貢献し、新人王を受賞した[1]。この活躍により日本代表に選出され、1987年のソウル五輪アジア予選を始め国際Aマッチ6試合に出場した。
その後も、後藤義一らと共に古河電工やJリーグ創世期のジェフ市原の中盤を支え、1996年からはジャパンフットボールリーグのブランメル仙台(現 ベガルタ仙台)へ移籍した。
1999年限りで現役を引退し、指導者に転身。2004年までベガルタ仙台でコーチを務めた。またサッカー解説者としてマスメディアにも登場し、東京電力女子サッカー部マリーゼの応援番組『熱烈応援マリーゼくらぶ』(福島放送)への出演や、スカイパーフェクTV!のJリーグ中継で解説も担当した。
2006年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。2007年から2010年まで日本フットボールリーグのジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ監督(ジェフ千葉トップチームコーチも兼務)を務めた。
2011年から仙台のアカデミーのコーチに就任[2]。2016年までの6年間ユース監督を務め、就任前まで決勝トーナメント進出を果たせていなかった日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会では2012年にベスト8、2015年にはベスト4に進出した[3]。2017年からマイナビベガルタ仙台レディースの監督に就任すると発表された[2]。就任1年目はリーグ戦で4位と結果を残した[4]。2年目の2018年は9戦を終えて1勝3分5敗で順位も8位と低迷し[4]、6月5日に成績不振により監督を辞任した[5]。その後花巻東高校男子サッカー部のテクニカルコーチに就任[6]。
ベガルタ仙台レディースを越後が率いていた際に台湾でのフレンドリーマッチに招待された事が縁となり、2019年1月19日より台湾女子代表監督に就任[7][8][9]。
所属クラブ
[編集]- 四日市中央工業高校
- 1984年 - 1995年 古河電工 / ジェフユナイテッド市原
- 1996年 - 1999年 ブランメル仙台 / ベガルタ仙台
指導者経歴
[編集]- 2000年 - 2004年 ベガルタ仙台トップチームコーチ
- 2005年 平成国際大学特別コーチ
- 2007年 - 2010年 ジェフリザーブズ監督(2008年はトップチームコーチも兼任)
- 2011年 - 2016年 ベガルタ仙台アカデミーコーチ[2](ユース監督)
- 2017年 - 2018年6月 マイナビベガルタ仙台レディース監督
- 2018年6月 - 12月 花巻東高校男子サッカー部テクニカルコーチ
- 2019年 - 2022年4月 台湾女子代表 監督
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1984 | 古河 | 24 | JSL1部 | 4 | 2 | 1 | 0 | 3 | 1 | 8 | 3 |
1985 | 14 | 22 | 4 | 4 | 0 | 2 | 1 | 28 | 5 | ||
1986-87 | 15 | 0 | 5 | 1 | ※ | 20 | 1 | ||||
1987-88 | 10 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 13 | 0 | |||
1988-89 | 20 | 3 | 1 | 0 | 2 | 0 | 23 | 3 | |||
1989-90 | 13 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 16 | 2 | |||
1990-91 | 9 | 11 | 4 | 0 | 0 | ||||||
1991-92 | JR古河 | 13 | 3 | 1 | 0 | ||||||
1992 | 市原 | - | J | - | 9 | 2 | 3 | 1 | 12 | 3 | |
1993 | 22 | 3 | 3 | 0 | 3 | 0 | 28 | 3 | |||
1994 | 33 | 7 | 2 | 0 | 2 | 0 | 37 | 7 | |||
1995 | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | ||||
1996 | B仙台 | 8 | 旧JFL | 22 | 7 | - | 3 | 0 | 25 | 7 | |
1997 | 9 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 12 | 3 | |||
1998 | 27 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 31 | 4 | |||
1999 | 仙台 | J2 | 26 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | |
通算 | 日本 | J | 66 | 10 | 14 | 2 | 8 | 1 | 88 | 13 | |
日本 | J2 | 26 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | ||
日本 | JSL1部 | 108 | 17 | 16 | 2 | ||||||
日本 | 旧JFL | 58 | 13 | 3 | 1 | 7 | 0 | 68 | 14 | ||
総通算 | 258 | 40 | 34 | 5 |
※1986年度の天皇杯は、古河電工がアジアクラブ選手権1986-87出場のため辞退
・JSLオールスターサッカー 2回出場(1986年、1989年)
その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 4試合0得点
監督成績
[編集]年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | リーグ杯 | 天皇杯 皇后杯 | |||
2007 | ジェフR | JFL | 9位 | 34 | 52 | 14 | 10 | 10 | - | 予選敗退 |
2008 | 15位 | 34 | 30 | 8 | 6 | 20 | - | 2回戦 | ||
2009 | 12位 | 34 | 41 | 9 | 14 | 11 | - | 2回戦 | ||
2010 | 16位 | 34 | 30 | 7 | 9 | 18 | - | 予選敗退 | ||
2017 | 仙台L | なでしこ1部 | 4位 | 30 | 18 | 9 | 3 | 6 | GL敗退 | ベスト8 |
2018 | 8位 | 9 | 6 | 1 | 3 | 5 | GL 3位 | - |
- 2018年は第9節終了時点での成績
代表歴
[編集]出場大会
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 6試合 1得点(1986-1987)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1986 | 3 | 0 | 5 | 1 | 8 | 1 |
1987 | 3 | 1 | 8 | 0 | 11 | 1 |
通算 | 6 | 1 | 13 | 1 | 19 | 2 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1986年07月25日 | クアラルンプール | シリア | ○2-1 | 石井義信 | ムルデカ大会 | |
2. | 1986年08月01日 | クアラルンプール | マレーシア | ●1-2(延長) | ムルデカ大会 | ||
3. | 1986年09月20日 | 大田 | ネパール | ○5-0 | アジア大会 | ||
4. | 1987年04月08日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | インドネシア | ○3-0 | オリンピック予選 | |
5. | 1987年04月12日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | シンガポール | ○1-0 | オリンピック予選 | |
6. | 1987年09月18日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ネパール | ○9-0 | オリンピック予選 |
得点数
[編集]# | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 大会 |
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1 | 1987年09月18日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ネパール | ○9-0 | オリンピック予選 |
出典
[編集]- ^ “1985年JSL最終成績”. japan football results. 2013年9月6日閲覧。
- ^ a b c 『マイナビベガルタ仙台レディース 越後和男監督、村上和弘ヘッドコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2016年11月15日 。2016年11月16日閲覧。
- ^ 小林健志 (2016年12月20日). “仙台ユースを強豪に育て上げた指揮官、越後和男の新たな挑戦”. サッカーダイジェストweb 2017年1月17日閲覧。
- ^ a b “マイナビ仙台越後監督辞任 後任に千葉強化育成部長”. 日刊スポーツ. (2018年6月6日) 2018年6月6日閲覧。
- ^ 『マイナビベガルタ仙台レディース 越後和男監督 辞任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2018年6月5日 。2018年6月7日閲覧。
- ^ 越後和男氏が花巻東高TC就任、柱谷TAと2枚看板 - 日刊スポーツ、2018年6月21日(2018年8月5日閲覧)
- ^ 李弘斌 (2019年1月19日). “執教資歷完整 越後和男率女足闖東奧資格賽” (中国語). 中國時報. 2019年1月19日閲覧。
- ^ 廖聿偉 (2018年1月30日). “足球》運彩盃日本大軍壓境 台灣女足嚴正以待” (中国語). 自由時報. 2019年1月19日閲覧。
- ^ 李弘斌 (2017年9月16日). “執仙台七夕社長返日 明春女足隊來台交流” (中国語). 中國時報. 2019年1月19日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 越後和男 - National-Football-Teams.com
- 越後和男 - Soccerway.com
- 越後和男 - FootballDatabase.eu
- 越後和男 - WorldFootball.net
- 越後和男 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 越後和男 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 越後和男 - J.League Data Siteによる選手データ