越谷アリタキ植物園
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越谷アリタキ植物園 | |
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施設情報 | |
前身 | アリタキアーボレータム |
専門分野 | 植物 |
事業主体 | 埼玉県越谷市 |
管理運営 | 埼玉県越谷市 |
開園 | 2010年10月1日 |
所在地 |
〒343-0024 越谷市越ヶ谷2563の1 |
位置 | 北緯35度54分00秒 東経139度47分23秒 / 北緯35.9度 東経139.78972度座標: 北緯35度54分00秒 東経139度47分23秒 / 北緯35.9度 東経139.78972度 |
越谷アリタキ植物園は、埼玉県越谷市にある植物園である。名称に含まれる「アリタキ」は、植物学者の有瀧龍雄にちなんでおり、越谷市に遺贈される前はアリタキアーボレータムとして私有地に開園していた。アーボレータム(アーバリータム、英: Arboretum)とは、英語で樹木園を意味する。
概要
[編集]面積は7,200m2。越ヶ谷久伊豆神社隣接地にある。園内にはメタセコイアやナンキンハゼ、菩提樹などの巨木や、ハーバード大学から贈られたマロニエなど約3,500種類の樹木や花などがある。
いずれも国内外の植物研究機関と交換したりして集めた。北米原産の巨木ラクウショウと高さ20メートル近いタブノキは市の天然記念物にも指定され、学生や教師、研究者らが多く訪れていた。
有瀧の没後、「植物園あるいはそれに類する施設として存続すること」を条件にした遺言により遺族からアーボレータムを遺贈された越谷市は、ボランティアによる植生調査などを経て植物園を整備し、「越谷アリタキ植物園」と名称を変えて、越谷市の植物園として新たに開園した。
歴史
[編集]- 1898年(明治31年)有瀧平太郎が私有地(約3300m2。現在の園内中央付近)に草庵・松花亭を結び、築山や池を設け、松・竹・梅・楓などの植物を植えた庭園を造営し、「松花園」と名づけた[1]。
- 1927年(昭和2年)有瀧平太郎の没後、平太郎の子息で植物学者である有瀧龍雄が、松花園の隣接地を購入して庭園を拡張。「アリタキアーボレータム」と名づけ、植物研究用として、国内外から温帯の樹木(ラクウショウ、シナサワグルミなど)を中心に収集を始めた[1]。
- 1966年(昭和41年)博物館相当施設として文部省(当時)の指定を受ける[1]。
- 1969年度(昭和44年度)一般公開を始める[1]。
- 1996年(平成9年)ごろに「アリタキアーボレータム」が閉園した[1]。
- 2001年(平成13年)10月 有瀧龍雄が97歳で逝去[1]。
- 2002年(平成14年)8月 遺言により、遺族から越谷市に遺贈される[1]。
- 2005年(平成17年)埼玉県東部自然観察会が越谷市から委託を受け、月2回、園内の雑草を除去し、通り道をつくるほか、植物の名前を調査した[1]。
- 2009年度(平成21年度)越谷市が管理棟など施設の整備を行う[1]。
- 2010年(平成22年)10月 「越谷アリタキ植物園」開園[1]。入園は無料だった。
- 2011年(平成23年)4月1日 施設の充実のため入園の有料化[2]。
- 2011年(平成23年)9月16日 越谷で発見され、野生では絶滅したコシガヤホシクサの特別展示が行われた[3]。
所在地
[編集]- 越谷市越ヶ谷2563の1
交通アクセス
[編集]入園料
[編集]- 大人 100円
- 小・中学生 30円
- 小学校就学前 無料
アリタキアーボレータム時代の末期の入園料は、大人 300円だった。
開園時間
[編集]- 4月 - 9月 午前9時 - 午後5時
- 10月 - 3月 午前9時 - 午後4時
入園は閉園30分前まで
休園日
[編集]- 月曜日(祝日の場合は翌日)
- 年末年始(12月29日 - 1月4日)
有瀧龍雄について
[編集]有瀧 龍雄(ありたき たつお、1904年 - 2001年)は、日本の植物学者。千葉県立高等園芸学校卒業。高等学校教員として埼玉県内の高校(埼玉県立越ヶ谷高等学校)で生物を教える傍ら植物の研究も続けた。日本植物園協会や園芸文化協会のほか、越谷市文化財調査委員会の委員長を歴任した。
引用文献
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 「広報こしがや」 季刊版 平成22年秋号 No.1245 15頁 (PDF) 越谷市 秘書室広報広聴課 2013-3-8閲覧
- ^ 『越谷アリタキ植物園』の入園料について更新日:2011年3月3日 越谷市web 2013-3-8閲覧
- ^ コシガヤホシクサ白い花咲いた 野生では絶滅 埼玉2011年9月17日0時54分 asahi.com(朝日新聞社) 2013-3-8閲覧