足利輝若丸
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足利 輝若丸(あしかが てるわかまる、永禄5年4月11日(1562年5月13日)[1] - 同年7月13日(8月12日)[2][注釈 1])は、室町幕府の第13代将軍・足利義輝の嫡男。母親は不詳。
生涯
[編集]公的な記録がある義輝唯一の男子である(他に女子が3名伝わる)。この年、六角義賢の京都侵攻によって、3月6日に義輝が八幡に退避している中での誕生であり、6月22日に義輝は京都に帰還しているものの、そのような不安定な状況が影響したのか、生後わずか3か月で病没している。
なお、ルイス・フロイスの『日本史』には、義輝次女の生母である小侍従局(進士晴舎の娘)は永禄の変の時に懐妊中であったために男子を生むことを恐れた三好軍に殺害されたと記されているが、山科言継の『言継卿記』には、小侍従局は変の直前である永禄8年4月17日(1565年5月16日)に三女となる女子を生んでいることが記されているので事実ではない。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 一説には7月15日死去とも。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 木下昌規「総論 足利義輝政権の研究」木下昌規 編『シリーズ・室町幕府の研究 第四巻 足利義輝』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-303-9 P37.