足立昌勝
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人物情報 | |
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生誕 |
1944年4月30日 東京都文京区湯島龍岡町 |
出身校 | 中央大学法学部 |
学問 | |
研究分野 | 近代刑法成立史 |
称号 | 関東学院大学名誉教授 |
影響を与えた人物 | 風早八十二 柿原篤弥 |
公式サイト | |
社会の鑑 |
足立 昌勝(あだち まさかつ、1943年4月30日 - )は、日本の法学者。専攻は近代刑法成立史。関東学院大学名誉教授。東京都出身[1]。
略歴
[編集]- 1943年4月30日 東京都文京区湯島龍岡町に生まれる[1]
- 1963年4月 中央大学法学部法律学科入学[1]
- 1967年3月 中央大学法学部法律学科卒業[1]
- 1967年4月 中央大学大学院法学研究科修士課程刑事法専攻入学[1]
- 1969年3月 中央大学大学院法学研究科修士課程刑事法専攻修了(法学修士)[1]
- 1969年4月 中央大学大学院法学研究科博士課程刑事法専攻入学[1]
- 1972年3月 中央大学大学院法学研究科博士課程刑事法専攻単位取得退学[1]
- 1972年4月 静岡大学法経短期大学部専任講師(担当:刑法)[1]
- 1973年10月 静岡大学法経短期大学部助教授(担当:刑法)[1]
- 1974年10月 内地研究(東京大学社会科学研究所)(1975年3月まで)[1]
- 1976年8月 在外研究(オーストリア・ウィーン大学)(1977年10月まで)[1]
- 1983年4月 静岡大学法経短期大学部教授(担当:刑法)[1]
- 1990年10月 内地研究(中央大学文学部社会学科)(1991年3月まで)[1]
- 1992年3月 静岡大学法経短期大学部を退職[1]
- 1992年4月 関東学院大学法学部法律学科教授(担当:刑法)[1]
- 1993年4月 関東学院大学評議員・法学部法律学科長(1996年3月まで)[1]
- 1995年4月 関東学院大学大学院法学研究科修士課程法律学専攻指導教授(担当:刑法)[1]
- 1996年4月 学校法人関東学院理事・関東学院大学法学部長(1998年3月まで)[1]
- 1996年4月 学校法人関東学院評議員(1998年3月31日まで)[1]
- 1997年4月関東学院大学大学院法学研究科博士後期課程法律学専攻指導教授(担当:刑法)[1]
- 1998年4月 関東学院大学法学研究所長(2001年12月5日まで)[1]
- 1998年10月 学校法人関東学院評議員(2009年3月31日まで)[1]
- 2003年8月 在外研究(ドイツ・ミュンヘン)(2004年1月まで)[1]
- 2005年10月 中国山東省山東大学法学院客員教授[1]
- 2006年9月 中国遼寧省遼寧公安司法管理幹部学院客員教授[1]
- 2009年4月 関東学院大学法学部法学科特約教授・大学院法学研究科博士課程法学専攻指導教授(担当:刑法)[1]
- 2014年3月 関東学院大学退職。関東学院大学名誉教授。
- 2015年9月 救援連絡センター代表就任
社会的活動
[編集]日本弁護士連合会刑事法制委員会の助言者を務め、神奈川県の市と町の個人情報保護審査会委員を務めている。
また、2002年5月20日に独立した東ティモールの国立東ティモール大学に法学部を創設する運動を行っている。
主な著書
[編集]- 『テロ等準備罪」にだまされるな!―「計画罪」は「共謀罪」そのものだ』(三一書房)
- 『Q&A心神喪失者等処遇法』(編著)(現代人文社)
- 『非効率主義宣言』(共著)(萌文社)
- 『近代刑法の実像』(白順社)
- 『警察監視国家と市民生活』(共著)(白順社)
- 『刑法学批判序説』(白順社)
- 『国家刑罰権力と近代刑法の原点』(白順社)
- 『コンピュータ犯罪と現代刑法』(共著)(三省堂)
- 『共謀罪と治安管理社会―つながる心に手錠はかけられない』(社会評論社)