軽井沢ユニオンチャーチ
軽井沢ユニオンチャーチ(かるいざわユニオンチャーチ、Karuizawa Union Church)は、長野県北佐久郡軽井沢町にある超教派教会堂(ユニオン・チャーチ)。
概要
[編集]明治30年(1897年)に『軽井沢合同基督教会』として設立された。アプト式鉄道の外国人鉄道技師たちのクラブハウスであった建物を改築したものとも伝えられている。大正7年(1918年)に、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって現在の建物が完成した[1]。
今日に至るまで、集会、音楽会、日本語学校なども開かれてきた[2]。特に戦前は夏になると軽井沢避暑団によって毎週火曜日の午後に音楽会「チューズデイ・コンサート」が開かれていため、この教会に面する通りは「オーディトリアム通り」と呼ばれている。
1930年のジャパンタイムズ紙の記録では、この教会で8月に音楽会(コミュニティコンサート)が3回催されている[3]。演奏者は日本人と外国人が約半々で、またその多くが別荘所有者であった。別荘所有者の子供たちが演奏する機会も設けられていた。演奏者の中には、英国国教会のイギリス人宣教師ジョン・ロスコーとその家族や、朝吹四兄弟[4]、堀田伯爵の名も見られ、演目にはベートーヴェン、リスト、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ラフマニノフ、シベリウスなどの本格的な楽曲が見られた[3]。
またこの恒例のコンサートでは、ボアルネ家・ロイヒテンベルク公爵家の令嬢(アレクサンドル・モギレフスキー元夫人)が演奏したり[5]、のちにアカデミー賞女優となったオリヴィア・デ・ハヴィランド、ジョーン・フォンテイン姉妹が歌ったという逸話も残る[6]。
この教会には、現在でも夏になると大勢の外国人が集まるという[7]。また付近には『軽井沢会テニスコート』や『軽井沢会集会堂』などの古い建築が多くあり、戦前の軽井沢の趣を強く感じさせるエリアとなっている。
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礼拝堂内部
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講壇
所在地
[編集]〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢862番地
脚注
[編集]- ^ JTBパブリッシング『るるぶ軽井沢’15』p.52
- ^ 軽井沢ユニオンチャーチ 長野県軽井沢町公式ホームページ
- ^ a b 花里俊廣「1930年頃の避暑地軽井沢における外国人の社会活動」『日本建築学会計画系論文集』第77巻第676号、日本建築学会、2012年6月、1283 - 1292(p.1288 - 1289)、ISSN 1340-4210、NAID 130004512484。
- ^ 長男の英一は、木琴奏者・作曲家として活動したが、1929年に自身の処女作として発表した(日本人として初めてでもあった)木琴オリジナル曲の題名は、「軽井沢の美人」であった。
- ^ Audrey Sansbury Talks, A Tale of Two Japans: Ten Years to Pearl Harbor, p.76, Book Guild, 2010.
- ^ 羽仁五郎『心痛む思い出 - E.H.ノーマン』。エドガートン・ハーバート・ノーマン『ハーバート・ノーマン全集 第4巻』(岩波書店, 1977年)3頁に所収
- ^ 軽井沢ユニオンチャーチ 軽井沢銀座商店会